2011年7月26日火曜日

さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 〜身近な疑問から始める会計学〜

さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 〜身近な疑問からはじめる会計学〜  【著】山田真哉 光文社新書


身近な疑問を、会計学の観点から解明し、関連する会計学の知識を解説している。

第1章「さおだけ屋はなぜ潰れないのか? ー利益の出し方ー」
本章のポイントは、「企業は継続することが第一であり、そのために、利益を得る必要がある」ということと、利益は「(利益)=(売り上げ)ー(コスト)」の式で表されるということである。
利益を上げるには、
・売り上げを増やす
・コストを減らす
のいずれかしかない。そして、たとえ売り上げが少なくても、コストをゼロに近づけることができれば、利益を上げることができる。

第2章「ベッドタウンに高級料理店の謎 ー連結経営ー」 
連結経営とは「本業に密接に関わる副業を行うこと」であり、本章ではベッドタウンにある高級料理店を例に、その連結経営に関して述べている。本業だけで儲ける必要はなく、副業で利益を上げれば商売は成り立つ。さらに、本業と副業がバラバラではなく、近い分野を扱っていれば、相乗効果が期待でき、また本業での技術や知識を生かすことができる。

第3章「在庫だらけの自然食品店 ー在庫と資金繰りー」
商品を仕入れ、加工、または卸して販売する企業は、仕入れた段階では支出があっただけであり、そのため仕入れた結果の「在庫」があるだけではその企業にとって損でしかない。また、「在庫の維持費」にコストがかかるため、企業としては、「在庫」は売り切らなくては損しかないのである。その「在庫」を大量に保持している自然食品店の謎に、本章では迫っている。「在庫」の保持には、維持するためのコストがかかるが、最も大きな問題は、「資金繰りのショート」の危険性を生むことである。「資金繰りのショート」とは、「売り上げがまだ入ってこないにもかかわらず、先に仕入れの代金を払わなければならなくなり、現金が足りなくなること」である。これを防ぐために、企業は「支払いは遅く、回収は速く」することを考えている。そのための方法として、「手形」で支払い期限を延ばし、「掛」と呼ばれる「売り上げから代金が入る状態」の期間を短くしようとしている。また、本章の最後では、「家庭における在庫の考え方」として、「必要なものを必要なときに必要な分だけ」が一番お得である、と述べている。

第4章「完売したのに怒られた! ー機会損失と決算書ー」
本章では、「機会損失」という概念と、「決算書」について説明している。「機会損失」とは、「売り上げの機会を逃すこと」であり、たとえば、在庫がなくなって商品が出せないといった場合である。この「機会損失」という概念は、売り上げなどとは異なり目に見えないものだが、こういった概念を考えることにより、より多面的に商売の実態を知ることができる。また、「決算書」とは、売り上げと損失を種類別に記したものであり、これを用いることで、現在の企業や家庭の財務状況を知ることができる。本章では最後に、「数字を使って話すことで説得力が増す」と述べている。

第5章「トップを逃して満足するギャンブラー ー回転率ー」
「(売り上げ)=(単価)×(数)」という永久不滅の法則から、売り上げを伸ばす方法を考察している。数を増やすには「回転率」が重要となる。そして、単価を下げれば、お客の回転率は上がるので、全体として利益を上げることができる。しかし、単価を下げた場合、商品の魅力も必然的に下がってしまうので、リピーターを作ることが難しくなる。その結果、時間が経つにつれて、数は減っていってしまう。そのため、バランスを考えて、その商品に合った単価を設定することが重要となる。また、本章の最後では、「全体を見て分からないものは、ポイントをしぼって見る」ということの重要性を述べている。

第6章「あの人はなぜいつもワリカンの支払い役になるのか? ーキャッシュ・フローー」
本章では、「キャッシュ・フロー」という考え方について説明している。「キャッシュ・フロー」とは、「現金の流れ」のことであり、「キャッシュ・フローが良い」とは、「現金が手元にたくさん残っている」ことである。手元に現金がたくさんあることで、資金繰りを良くすることができる。また本章では、個人が重視すべき指標として、「フリー・キャッシュ・フロー」という概念を提案している。この「フリー・キャッシュ・フロー」とは、「自由に使えるお金の額」のことであり、個人版に置き換えると、「収入から、生活費や保険代などの、必要不可欠な支出を引いた額」のこととなる。これは、生活のゆとりや豊かさの指標として考えることができる。そして最後に、「家計でも、1円単位の計算ではなく、大局をつかむことが大切である」と述べている。

第7章「数字に弱くても「数字のセンス」があればいい ー数字のセンスー」
本章で述べられている「数字のセンス」とは、「物事をキチンと数字で考えることができるかどうか」のことである。すなわち、何事も言葉の表現だけで判断せず、実際に数字の計算に直して考え、分析することができるか、ということである。そして、数字をもとに分析する方法で重要なことは、重要な事柄に対して、1単位あたりの値を出し、比較することである。そして、この値を定期的に抑えていくことである。最後に「数字のセンスを身につける方法」として、
・日々の生活の「ちょっとした数字」にも気を配ること
・あらゆる数字の背後にある「意味」を読み取るようにすること
が挙げられている。

【考察】
身近な例を謎解きの様に読み進めていくうちに、会計に関するエッセンスを学ぶことができた。自分は会計の知識はゼロであったが、専門知識は必要なく、比較的簡単に読むことができた。また、少し難しい説明の部分では、図が描かれていたり、各章の終わりにまとめが記載されていたりと、読者の理解を助けるような工夫が多くなされていた。

2011年6月18日土曜日

昼飯は座って食べるな!

昼飯は座って食べるな! 【著】市村洋文 サンマーク出版


元野村証券の証券マンだった著者が仕事に対する考え方や取り組み方を綴っている。全体を通して人間関係を大切にすることが重要だということを主張しており、また仕事の厳しさも教えてくれている。

第1章「就業時間は、プレー時間」
著者が野村証券に就いて間もない頃のことから始まり、いかにして1日に40枚集めたのかや仙台一の高額納税者である共呉服の販売会社社長から1億円もの前金を受け取ることができたかについて書かれている。特に印象に残った言葉は、「就業時間はプレー時間。昼飯を休んでゆっくり食べているやつは試合中に休むのと一緒だ」という言葉であり、熱意をもってやればできることを根気強くやり続けることが必要であると述べている。また、「自分のためではなく相手のために服を着る。常に完璧な服装でいつも戦闘態勢でいるべきだ」という言葉も印象的だった。

第2章「名刺1枚には、1000億円の価値がある」
名刺の大切さを強く述べている。名刺をコピーして日付ごとに管理する。そうして知り合った人との関係は切れないよう年賀状を送る、記念日には必ず花を贈る。そうして一生ものの人間関係が続く人持ちになれれば、お互いに助け合える人が増え、そしてまた相手にかけた情けは回り回って結局自分に帰ってくるのである。

第3章「リスクマネジメントよりラックマネジメント」
リスクをマネジメントするのと同様に、運をマネジメントすることも大切であると述べている。そして、運とは人がもたらすものであり、運のいい人と一緒にいることで自分にもいい運がやってくる。ここでいう運のいい人とは、愚痴や文句ばかりいう後ろ向きな人ではなく、前向きにチャンスをしっかりつかんで、周りの人に支えられながら進んでいける人のことである。そして自分がそんな人になるためにも、他人の愚痴を言い合うような場所にはお酒の席でも行かない、つらいときは誰かに愚痴をぶつける前に一人の時間を作ってぼーっと空でも眺める、提示された目標に「なぜ?」と訪ねるのはやめて「どのようにして実現させるか?」に思考を切り替えるといったことが述べられている。また、細かいことをきちっとできる人間は大きな仕事もでき、これからも成長していく人であるとも述べている。特に印象に残った言葉は、「雨は自分にだけ降っているのか?しんどいのはみんな同じであり、一人だけ運がいいように見えるやつは一人で努力をしている。そういうやつだけが運のいいときも悪いときも進んでいく」である。

第4章「よく遊び、よく働け」
お祝い事には盛大にお金を使った方が良いと述べている。というのも、交際費は10年後に何倍にもなって戻ってくるという考えがあるからである。人より高い給料というのはその分交際費として使えという意味であり、それは未来への投資であるのだ。

第5章「一生懸命やれば、応援団がついてくる」
著者の失敗体験をもとに、嫌なことから逃げないことの重要性を述べている。著者は顧客に大損をさせてしまったとき、逃げずに誤り誠実を尽くした。その結果、顧客に損を取り返させることができたのである。また、「無茶」と「無理」は違うことであり、「無茶」はするな、でも「無理」はしろと述べている。「無理」をしてでも仕事をなすという気持ちが大事なのである。ここでは、「出資してくれる人を10人集められるか?10人も信用してくれる人がいないのであれば出資はできない。」という言葉が印象に残った。

第6章「成功するための秘訣」
成功するための秘訣として上げられているのは、リスクを負うこと、思いが強くあること、計画は99%成功するよう綿密に立て、さらにその上でうまく行かなければ柔軟に変更すること、家族を大切にすることである。「つねに夢を持ち、変わらぬビジョンを語り続けていなければいけない。たとえ周りの人が去り、業績が思うように伸びなかったとしても、そこで夢までも挫折させてはいけないのです。」、「自分がいかに人に支えられ、助けられて生きてきたかということです。自分のビジネスも、すべて人とのよき出会いによって成立してきた。人との出会いこそが私を支え、つらいときも乗り越えることができました。」という言葉が特に印象に残った。


全体的に人間関係の大切さを再認識させられた。というのも、著者は証券マンであり、人間関係が仕事の成果に大きく関わる(というかもはやそれがすべてなのか?)ので非常に説得力があったからだ。また、初めにかいたように社会の厳しさを教えられた。著者は厳しいノルマもこなし、魚の餌にもされかけながら、強い意志を持って仕事を遂行していった。自分も体力と強い精神力を持たねば。

2011年6月3日金曜日

考える技術

考える技術 【著】大前研一 講談社


第1章「思考回路を入れ替えよう」
経営コンサルタントである筆者が、論理思考の重要性を筆者の経験と合わせて述べている。筆者曰く、重要なことは分析から十分な仮説を得るだけではだめで、その仮説を自分の足で実際に見て回ることで検証し、結論にしなければならない。

第2章「論理が人を動かす」
本章では、初めに筆者の経験をもとにプレゼンテーションにおいて、いかに聴衆に自分の結論を納得させるかについて書かれている。まず一つのプレゼンに定言をいくつも入れるよりも1つにした方が相手を説得しやすいと述べている。それはやるべきことが1つの方が聞く人の気持ちが動きやすいからだ。また、定言には事実の裏付けが不可欠であり、逆に事実による裏付けがきちんとされていれば相手も納得する。そして、もっとも効果的なプレゼンの構成は、
・まず初めに全体の結論
・業界の動向
・競合他社の動き
・当社の状況分析
・改善機会のための条件
・解決の道
・提言
・実行計画
であると述べている。
後半では、郵政民営化を題材にして、その是非を論理的に検証している。

第3章「本質を見抜くプロセス」
前半ではいくつかの例をもとに、物事の本質を見抜くプロセスを紹介している。ここでは企業売買の際、実際にその企業にはどれ程の価値があるのかや、ジャーナリストが事実を見たり聞いたりしたまま記述していて自ら仮説、検証を行っていないということ(あくまで筆者の記述)、銀行の統合に関する考察が述べられている。後半では、日本企業への提言が述べられている。

第4章「非線形思考のすすめ」
本章では、科学的アプローチと論理的思考の関連性を述べている。何事にも疑問を持ち追求していく姿勢が必要である。そして今の経済は原因が同じであっても結果が同じであるとは限らない複雑形であり、非線形思考をもって様々な方面から疑問をぶつけ考えていくことが必要である。勉強も同じで、何でも自分で疑問をもって考えていく必要があり、答えを与えられ、それを何も考えずひたすら覚え、テストが終わったら忘れてしまうような勉強は何の役にも立たない。

第5章「アイデア量産の方程式」
筆者の考えでは、新しい発想とはひらめき ではなくなぜ?と疑問を持つところから得られる。なぜ?と疑問に感じることを掘り下げて考え、仮説を立てて、それを実際に検証することで新しい発想を得るのだ。

第6章「五年先のビジネスを読み解く」
本章では、初めに土地の値段の下落が推測できなかった人々を例に、当たり前と感じていたり、マスコミや政府が言っているからといって、それらを事実として解釈してしまうことの愚かさを述べ、何事にも疑問をもつことの大切さを述べている。後半ではあるものに関する未来を見通す方法として、それが持つ機能を分解し、それらが将来的にどうなっていくのかを見通すという方法を紹介している。ここでは携帯電話の未来が考察されており、携帯電話の持つパソコンとしての機能や電子財布としての機能をそれぞれ考察している。また、成功のパターンについても述べており、筆者曰く、実際に成功したものごとには、
・事業領域の定義が明確にされている
あれもこれもではなく、必然的に向かっていく一つの方向に特化するということ
・現状の分析から将来の方向を推察し、因果関係について簡潔な論旨の仮説が立てられている
論理的に推論を得るのであって、ただのアイデアとは違う
・自分のとるべき方向についていくつか可能な選択肢があっても、どれか一つに集中する
いくつもある可能な選択肢の中でも、どれがもっとも成功の可能性が高いのかを分析し、優先順位をつける
・基本の仮定を忘れずに、状況がすべて変化した場合を除いて原則から外れない
状況が変化したときに、前提としていた状況が大きく変わらない限り、最初に設定した基本仮定を忘れないことが肝心

第7章「開拓者の思考」
インターネットなどの新しい技術が発明されたことで、様々な事業が新しく生み出され、既存のものを淘汰していっている。この変化によってもたらされた新しい時代はまだ期間が短く、専門家と呼ばれる人がいない。そのため、新技術を取り込んだ新しい事業といった発想パターンが今ほど有効な時代はないといえる。そしてそういったチャンスを得ることができるのは、自分にはまだ経験がないというときにそこを避けて通るのではなく、「とりあえず入ってみよう。何かあるかもしれない。」と思える人である。そして自分の武器である頭脳を常日頃から磨き訓練しておき、誰と会うときでも真剣勝負のつもりでベストを尽くせることが必要なのである。


考察:
本書は、以前に読んだ大前研一氏の著書「下克上の時代を生き抜く即戦力の磨き方」の執筆以前に書かれたものだったため、前回読んだものの中で紹介されていたことがまだ簡単にではあるが本書にも出てきていて少し面白かった。本書は方法論の紹介が少なく(もちろん随所にあったがそれよりも)、どちらかというと実際の例をもとにして大前氏が考察するという部分が多く、自分の考え方の参考になった。大前氏のストイックな姿勢をまじまじと見せつけられ、若者である自分が普段いかに何も考えていないのかということを思い知らされた一冊だった。

2011年5月26日木曜日

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学 【著】マイケル・サンデル 鬼澤忍=訳 早川書房


第1章「正しいことをする」

全体の導入といった内容で、実社会で起こる道徳的に判断が難しい事例をいくつか挙げたうえで、それらに対してどのような考察ができるのか、どのようなアプローチの方法があるのかを簡単に上げている。これらは実際にこれからの章で議論される事柄である。


第2章「最大幸福原理 ー功利主義」

一つ目の考え方である、「功利主義」について紹介し、議論している。「功利主義」の原理とは、社会全体の利益、すなわち幸福や快楽の総量が最大となり、社会全体のコスト、すなわち不幸や苦痛の総量が最小となるような方法が最も正しいとする考え方である。ジェレミー・ベンサムはこの考え方の原理を確立した人物であり、ベンサムによると、道徳の思考の原原理は社会の効用を最大にすることであり、効用とは快楽や幸福を生み、苦痛や苦難を防ぐ全てのものを表している。例えば、ベンサムのアイディアとして「貧しいもののために自己資金で運営される救貧院を設ける」というものがある。これは、路上の物乞いを貧困院に閉じ込め働かせ、物乞い達が貧困院で働いて得た金銭で自分たちの食費や医療費を払う、というものだ。この方法でベンサムは、一般の人々が物乞いに出くわして社会全体の効用が減少することを防ぎ、さらに物乞い達の中に数人はいるであろう、貧困院で働く方が幸せであるという者達によって社会全体の効用は増加すると主張する。そしてこの効用の増加分が、貧困院で働かされる者達が受ける苦痛などによる効用の減少分に勝るため、道徳的に正しいと主張している。
しかし、このようなベンサムの考え方には以下に示すような反論が考えられる。
1.個人の権利を尊重していない
ベンサムの考えるように満足の総和だけを考えてしまうと、個人を踏みつけにしてしまう場合が出てくる。例えば、古代ローマではコロセウムでキリスト教徒をライオンに投げ与え、庶民の娯楽としていた。この行為の正当性を功利主義的に考察した場合、投げ与えられたキリスト教徒は堪え難い苦しみを味わうはずだが、大多数のローマ市民がこの見せ物から十分な快楽を得るとしたら、この行為を否定することはできない。このように、効用を第一に考えてしまった場合、常に道徳的に正しい選択が可能であるとは考えにくい。
2.あらゆる物事に関して共通の価値をもたせることは不可能
功利主義に従う場合、あらゆる種類の幸福を共通の単位(通貨)で計算し効用を算出する必要があるが、それは事実上常に可能か?社会心理学者のエドワード・ソーンダイクは一見バラバラな欲求や嫌悪の対称を通貨で表そうとし、アンケートを行った。その結果、回答者の多くが金額では表せないほど嫌だと言うものが出てきてしまい、完全に通貨で表すことはできなかった。
ジョン・スチュアート・ミルは、この反論に対して全ての快楽は、質の高い快楽と質の低い快楽に区別できると主張した。しかしこの快楽の質とは、効用そのものとは無関係な人間の尊厳や人格という道徳的理念に訴えたものとなっている。


第3章「私は私のものか? ーリバタリアニズム(自由至上主義)」

第2章で上げた功利主義とは異なり、リバタリアニズムとは個人の自由への基本的権利を最優先する考え方である。リバタリアンは、自傷行為を行う者を保護する法律やある種の美徳の概念を強制する法律(同性愛禁止法など)に反対する。互いに望むのであれば殺傷行為をも正当化されうる。さらに、富裕者が貧困者の為に納税する義務にも反対する。なぜなら、それは国が富裕者を所有して労働させていることになるからである。この考え方に従う場合、ある富裕者が稼いだお金は全てその人が所有できることになるが、この際に次のような反論が考えられる。
その富裕者はたまたま彼にある種の才能があり、その才能を賞賛する社会に生まれたために富裕者になっただけであり、それら全てに対してその富裕者自身が貢献した訳ではなく、稼いだお金のうちの一部はそういった社会や才能を与えてくれた何かに所有権があるはずだ。
 この反論に対する回答は難しく、才能を発揮した結果得られた利益を受け取るべきはその才能の所有権を持つなにかであり、それはどこにあるのかという問題に置き換えられている。




第4章「雇われ助っ人 ー市場と倫理」

本章では、金銭を払って人にやらせることの倫理について、戦場で戦う行為と子供を産む行為と言う全く違った二つの仕事を元に考察している。初めの戦場で戦う行為については、兵士の集め方について、徴兵制身代わりを雇ってもいいという条件付きの徴兵制志願兵制の3つにが考えられるが、自由至上主義、功利主義双方においてもっとも最善であると考えられるのは志願兵制となる。自由至上主義の観点から見ると、徴兵制は強制するため一種の奴隷制と見なされるため1つ目と2つ目は適切ではない。また、功利主義の観点から見ると、志願兵制は望む者のみが兵役に就き、望まない者が入隊されることによる効用の損失もなくなるためである。しかし、最も良く思われる志願兵制であっても、反論の余地をもっている。1つ目の反論は、志願兵制とは入隊することで金銭を得る制度であるが、貧困に喘ぎ選択肢のない者が本心では望んでいないにも関わらず入隊してしまう場合が考えられる点である。2つ目は、兵役をただの仕事ではなく市民の義務と考えた場合にそれを市場で売りに出すことは許されないという点である。例えば陪審員制度を市民の義務としている場合に、その義務を売買することは正しいとは考えにくい。同様に、子供を産む能力を売買する(代理妊娠)ことを考える際に、依頼人と代理母との間に結ばれる契約は真に正統なものであるといえるのであろうか。少なくとも、代理母は契約を結ぶ時点で妊娠後に芽生えるであろう子供への感情を知ることはできないので、この自発的な決断が十分な情報に基づいているとはいいがたい。すなわち、代理母としての契約を結んだ女性は十分な情報を与えられていない不当な条件下で契約を交わしたと言える。また、代理母という契約は、女性である人間(出産という能力、または生まれる子供)を商品として利用することによって貶めている(下等に扱っている)。この様な考えから、志願兵制と代理出産というまったく異なっているように思えるものごとの間には、自由市場で我々が下す選択はどこまで自由であるのかという問題と、市場で評価すべきではないものは存在するのかという問題の2つが存在していることがわかる。


第5章「重要なのは動機 ーイマヌエル・カント」

第4章までで見てきたように、功利主義、自由至上主義にはそれぞれ受け入れがたい状態を容認し得る。(功利主義では少数であれば絶大な苦痛をも容認しうる、自由至上主義では互いに望むのであればいかなる行為でも容認されうる)イマヌエル・カントは、このような考え方とはまた別の理論を主張している。それは、人間は理性的な存在であり、尊厳と尊敬に値するものだ。カントは人間は自由に行動すべきだと主張するが、カントの言う自由とは自然や社会に影響されない、自分が定めた法則に従って行動することであり、目的を選択する際にその目的そのもののために選択する必要がある。例えば、空腹に耐えきれずパンをほおばってしまったり、大学進学するために数学の問題を解くといった行動は、カントの言う自由な行動ではない。また、その行動は道徳的である必要がある。そしてカントが言う道徳的な行動とは、正しいことを正しい理由のために行うという義務の動機に従う行動である。例えばカントは思いやりから他人を助ける行為を尊敬には値しないとする。それは個人の趣向(他人を助けることで喜びを感じる)のために行った行為であり、義務によるものではない。逆に、助けたいという思いやりは全くないがひとえに義務のために他人を助けようとする行為をカントは尊敬に値するとする。また、カントが言う義務とは、理性によって判断され、その理性とは定言命法に従おうとすることである。ここで定言命法とは、無条件に正しいとされる法則のことである。(例えば嘘の契約をしないなど)


第6章「平等をめぐる議論 ージョン・ロールズ」

ある集団や国家において社会契約が結ばれるとき、どのような契約が最も公正であると言えるのであろうか。人々にはそれぞれ階級や立場があり、持っている情報量も異なるため自分に有利な契約を結びたがる。ジョン・ロールズは真に公正な社会契約とは一時的に自分がなにものかが全くわからない状態なり、交渉力に差がない状態で人々が同意する契約であると主張する。また、ロールズは才能など完全に平等にすることはできない事柄について、格差原理という考えを提示している。これは、ある事柄に対して才能のあるものにはその才能を訓練してのばすように促し、その才能で市場にもたらした報酬はその才能を持たない人々も含む共同体全体のものとする考えである。しかし、この考えには2つの大きな反論が考えられる。
反論1.もし才能を持たない人々を助ける条件でしか自分の才能から利益を得られないのであれば、才能に恵まれた人々は手を抜くかそもそも才能をのばそうとしないかもしれない。
反論2.才能を伸ばすための努力に対して相応の報酬を与えるべきだ。
これらのような反論が考えられるにしろ、ロールズの正義論はアメリカ政治哲学がまだ生み出していない、より平等な社会を実現するための説得力ある主張を提示している。


 第7章「アファーマティブ・アクションをめぐる論争」

本章では主に大学におけるアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)に賛成、反対それぞれに対する理論を考察している。まず賛成派の意見としては、不利な立場にいる人々を援助するというものだ。しかしこのために過去の差別や過ちに実際にはまったく関与していない人々が犠牲になることに対する正当性も考察する必要がある。また、大学側から見たときに様々な人種の人々を受け入れることにより多様性を促進できるという点も賛成派の意見として上げられる。しかし、実際にはこのアファーマティブ・アクションの為に過去に差別を受けなかった人種の人々が実際には合格するはずの成績を残しても不合格となる。このような判断の基準は各大学ごとに異なり、それぞれに自身の存在意義に従っている。ある大学は多様性を重視するために積極的にアファーマティブ・アクションを取り入れ、またある大学は学力を何よりも優先する。これは各大学がそれぞれに求める価値が違うためであり、各大学が自分達の好きなように、それぞれが求める価値基準を決定しているためである。


第8章「誰が何に値するか? ーアリストテレス」

本章では、アリストテレスの考えをもとに第7章で取り上げた大学の合否判定のように誰が何に値するのかということを考察している。アリストテレスの考えによると、ある同等の者に値する人々というのは皆同等の人々であるとし、何において同等であるかというと、それは分配されるものとそれに関わる美徳に関わってくる。それは、あるものはそれをもっともうまく使う人に分配するべきだという考えである。この考え方を第7章の大学の例に応用するとき、大学の目的とは何かという問いから始まる。


第9章「たがいに負うものは何か? ー忠誠のジレンマ」

本章では第7章の大学の例のように、過去の過ちの責任を実際には関与していない人々も追うべきかという問いに対して考察している。その際、道徳的責任の種類として3つ上げられている。
1.自然的義務
普遍的で合意を必要とする。例えば同じ人間を死の危険から救う義務。
2.自発的責務
個別的で合意を必要とする。例えば金銭を通した契約など。
3.連帯の責務
個別的で合意を必要としない。これが過去に過ちを犯した種族としての責任である。この責務は位置ある自己を前提としており、それによって結びつけられる責務である。この責務は例えば他人と家族であれば家族を優先して助けるという考えはこの責務からくる。自然的義務であればどちらを優先するかまでは指定されないが、家族という、合意を必要としない自分と家族との生まれながらの関係を認識するということは、自分は家族という位置にいてそれは過去から代々続いているという事実を受け入れることになり、結果過去に先祖がおかした罪の責任は少なからず自分にも関係があるということになる。


第10章「正義と共通善」

本章では、ここまで道徳的に正しいこととは何かについて考察を重ねてきたが、このような道徳的な考察を深めていくと結果的に正義についての考察からは逃れられないということを主張している。例えば、同性婚に関しては結婚の目的を考察する必要があり、これは結婚の制度から得られる名誉や承認だと考えられるが、それら名誉や承認の根底には道徳問題が存在し、それは何かしらの道徳的・宗教的不一致が原因となっている。そして、政治がそのような道徳に関与しようとする場合、それを避けようとする政治以上に希望に満ち、公正な社会の実現における基盤となりうる。


考察:とても論理的、哲学的でボリューム感たっぷりだったが、講義の内容をまとめた本と言うことで、各章ごとに論題がはっきりしていてそれが読み進めるごとにつながっていくのでとても読みやすく感じた。また哲学や倫理と言った内容に全く知識がなくても十分に理解できる内容である。著書の中で論じられていることはほぼ全て誰かしらの主張や一般論の紹介であり、筆者自身の意見や定言は少なかったように思われる。

2011年4月30日土曜日

即戦力の磨き方

即戦力の磨き方 【著】大前研一 PHPビジネス新書


この著書の中では、ホリエモン騒動は時代の変化を位置早く察知した若者が起こした明治維新のようなものであり、ホリエモンや楽天の三木谷浩史といった人たちは、旧秩序にこれまでにないやり方で立ち向かっていった坂本龍馬などの維新志士に例えられている。そして、これから必要になってくるのは、これら維新志士が破壊した旧秩序の上に新しい秩序、モデルを構築できる福沢諭吉や伊藤博文のような経営者でありビジネスパーソンであると述べられている。
そして、こういった人材に必要なスキルとしての実践力、即戦力を題材として扱っている。

また、日本のビジネスパーソンは、世界標準より20年遅れていると述べ、日本のビジネスパーソンは会社内の評価を上げるのではなく、外部とも比較して、自分にどのようなスキルがあり、評価があるのかを考え、勤めている会社がある日突然なくなってしまっても身一つできちんと評価されるようにならなければならないと述べている。それがすなわち、プロフェッショナルな人材になるということである。

そして、プロフェッショナルな人材には「語学力」「財務力」「問題解決力」が必須であると主張している。

「語学力」・・・ここで言う語学力とは英語のスキルのことである。現在最も経済力があるのはアメリカであり、そのため多くの国がアメリカと商売をするために英語を話すようになった。自国内に資源が豊富にある国は、英語が話せなくてもそれら目当てに外からお金が入ってくるのであまり英語に力を入れる必要はないし、中国のように安い人件費を売りにしている国はそこまで英語がしゃべれなくてもなんとかなる。しかし日本の場合は昔のように人件費も安くはないので世界の生産拠点にはなれない。サービス業をするにも世界を相手にするにはコミュニケーションスキルは必須となるので、英語のスキルが必要となる。

「財務力」・・・著書のなかでは、資金を特に金利の安い日本の銀行に預けておくよりも、もっと株式投資にまわすべきだと述べられている。日本の定期預金では金利は0.03%であり、500万円預けたとしても30年で504万円にしかならないが、株は世界標準で年利10%であるので、1年間10%で運用できればそれだけで550万円となる。また、資産は分散させるべきだという考えからも、株式を利用するのは得策だと言える。


「問題解決力」・・・重要な決定を思いつきで行ってしまうことをさけるためにも、この力は必須である。そのためにも、「問題はどこにあるのか」、「その本質はどこにあるのか
」といったことを追求していける「質問力」が必要となる。著書の中での問題解決のプロセスは、
「問題の本質を探すために、なぜその問題が起こるのかといった疑問を追求する」
->「その問題の発生する原因に言及して、何をどうすればその原因を排除できるかの仮説を立てる」
->「立てた仮説が実際に正しいかを検証し、仮説の修正を繰り返す」
という流れである。


著書では勉強法に関しても言及されており、そこでは「答えを習う」より「答えを考える」ことに重きを置くように主張している。そして、自分の出番ではなくてもいつでも代われるように常に考えることをやめないでいるべきだと述べている。

数学的思考の技術

数学的思考の技術 不確実な世界を見通すヒント 【著】小島寛之 ベスト新書


第1部では、実社会においてどのように数学的な思考が役立てられるのかが述べられており、第2部ではより経済的な内容が述べられている。第2部は少し専門的な用語も出てきていて、難しい内容となっていた。最後の第3章では、村上春樹の小説が数学的な思考から書かれているという考えをもとに、その小説を読み解いていくといったものになっている。
第1部はまだ身近な話題が扱われておりある程度は実用的であったが、第2部はほぼ経済学を学んでいる感覚にさえなった。第3部は村上春樹の小説を読んだことのない自分にとっては最後までよく理解しきれずに終わってしまった。

2011年3月18日金曜日

見通す力

3/16~18
見通す力 【著】池上彰 生活人新書・NHK出版


池上彰が普段行っている情報収集の方法から、集めた情報をもとにどのようにしてこれから起こることを予想しているのかを説明した本。

序章 「見通す力」を使って将来を予測する
今までに実際に起きた出来事をもとに、当時池上彰がそれらの出来事をどのようにとらえ、コレからの成り行きを予測したのかを簡単に述べ、「見通す力」の重要性を主張している。

第1章 「見通す力」はこうして鍛える
今後起こることを予測するテクニックとして、「情報の収集」、「情報の選別」、「仮説の設定」、「仮説の検証」の流れを紹介している。情報収集は、普段私達が利用しているものと同じように、新聞やテレビ、雑誌などのメディアであるが、重要なことは同じメディアを毎日続けてみていくことが大切である。

第2章 見通すための情報収集①
本章では主に新聞の読み方を説明しており、推奨している読み方は隅々までは読まないで気になる見出しのものだけを、別の新聞の記事とも見比べながら読むことである。そして、毎日同じメディアを見て、あれっと思う情報を見つけることが重要である。また、書かれている記事の内容が、「事実」なのか「意見」、「推測」なのかを見分けることも大事である。

第3章 見通すための情報収集②
第2章の方法で取り上げた情報をインターネットや書籍を用いてより深く調べていく。このとき、「定本」を読むと、その分野の背景がわかりそこに無い情報だけを集めれば良くなるので、その後の情報収集が楽になる。

第4章 仮説を設定し、検証してみよう
初めに集めた情報を図に表す。このことで、情報同士の関係がわかりやすくなる。このときポイントとなるのは、図を描きながら自分自身で質問をすることである。次に、この図をもとに予測をし、文章にしたり人に話すことによって形にしていく。こうしてできた仮説は、新しい情報と照らし合わせることで修正していく。 

第5章 私はこうして先を見通そうとしてきた
本章では、実際に池上彰が政治や経済の問題を予測した際の考え方の例が記されている。取り上げられているのは、自民党の首相がコロコロ変わってしまった問題や、サブプライムローン問題である。

第6章 「自動車業界」のこれからを見通してみよう
日本や世界の自動車業界のこれからを、自動車業界にとってのマイナス要素プラス要素と、自動車業界を考える上で欠かせないという要素にわけて考察している。マイナス要素であれば自動車の販売台数が減少してきていること、プラス要素であれば新技術がどんどん開発されていること、欠かせない要素であれば自動車業界の変化の恩恵を受けるのはどういった業界であるのかといったことが上げられている。

著書では、情報収集の極意は毎日同じメディアに目を通すことで、何か特別なことが記事になったときにそれに気づくことができると述べている。また、変わった名前には特に注目し、わからなければその都度調べることが必要だと述べている。章ごとにまとまっていて読みやすかったが、後半は「見通す力」とあまり関係のない内容であったので少し残念。


2011年3月17日木曜日

もっともやさしいゲーム理論

3/15~17
もっともやさしいゲーム理論 【著】島津祐一 日系ビジネス文庫


ゲーム理論の基本的な内容を数式を使わずにできるだけ簡単に説明している。
具体例を豊富に使っておりとても理解しやすいが、シンプルではあるがいくつかグラフを使っていて、それらのグラフ内における数値を計算しているので、読んでいて少し混乱してしまう場面もあった。


序章 「ゲーム理論」とは
ゲーム理論とはどういったものかということを、いくつかのゲームの例を用いて説明した後、ゲームをいくつかの特徴からパターン分けし、著書で取り上げている ゲームのパターンを簡単に説明している。

第1章 よりよく勝つあるいはより少なく負ける
 ゼロサム・2人ゲームで、いかにして最善の手を導くかを説明している。ここで著書いわく、ゼロサム・2人ゲームの本質は、最小値を大きくしようとする力と最大値を小さくしようとすることのせめぎ合いであり、ゲーム理論における最善の手とは、利益の期待値が高い手ではなく、最悪の状態を必ず回避する絶対に負けない手である。この最善の手の解は、鞍点が存在するとき、鞍点となる。

第2章 複数の戦略を混合して利益を高める
ゼロサム・2人ゲームで鞍点が存在しない場合、賭目と呼ばれる値からグラフを作成し鞍点を求める。また、2*nゲームで鞍点がない場合にも、戦略の組み合わせのなかで最も優越している2組の戦略から2*2ゲームに変換し、鞍点を求めることができる。

第3章 樹形図を書く
ある時点で考えられる全ての戦略のパターンを樹形図に表していき、その枝を可能な限り分岐させてのばしていく。その中で、もっとも効果的な戦略を選択する。

第4章 囚人のジレンマを念頭に置け
ポイントは、「裏切り」と「協調」であり、片方が裏切ったとき、両方裏切ったとき、協調したときの利益の値の大小関係によって、囚人のジレンマ、チキン・ゲーム、行き詰まりゲーム、鹿狩りゲームに分けられる。

第5章 夫婦の食い違いを解決する
夫婦の食い違いにおいては均衡点が2つあり、そのいづれかの均衡点に達すると、片方だけの意思では戦略を変えることができない(自分だけが戦略を変えた場合、均衡点以上に利益を増加させることができないため)。また、囚人のジレンマも夫婦の食い違いも協調によって均衡点に達するが、両者の違いは囚人のジレンマでは協調によって達する均衡点が「2人とも自白する」ただ1つであったのに対して、夫婦の食い違いでは、夫に合わせるか妻に合わせるかの2つが存在する点である。

第6章 ゲームの転換を図る
同時ゲームを交互ゲームに変換したり、3人ゲームを2人ゲームに変換意思足りすることで、自分の利益を高める。ここでの例として、「談合」や、先に自分の戦略を宣言することなどが上げられている。また、囚人のジレンマの解決策として、別のゲームを創出して同時進行させ、その相乗的な利益から妥協点を探るという例が挙げられている。

ゲーム理論に関する事前知識を全く必要とせず読めるが、所々専門用語(もちろん解説付きだが)が出てくるので、理解するのに少し苦労する場面もあった。