どうしても書かずにはいられず、、、
昨今話題の「いじめ問題」だが、どうしても理解できない。
というのも、次のような疑問が湧いてくるからだ。
「そもそも、何をもって"いじめ"と表現しているのか?」
それをはっきりとさせない限り、何をなくすべきと言っているのか分からない。
いじめとは、一定の行動に定義できるものなのであろうか?
人に苦痛を与えることがいじめなのか?
そうなのであれば、集団生活を学ぶ上でいじめをなくすことは不可能である。個人が誰一人として互いに苦痛を与え合わない集団は、個人が互いに関与し合わない集団である。個人が接する限り、互いに大なり小なり苦痛は必ず与え合う。
では、大きな苦痛を与えることがいじめなのか?
これは、苦痛の大きさには苦痛を受ける個人によって差があり、また苦痛の種類も様々あるため、一定の基準を設けることは不可能だ。
そうならば、ある現象が起こる程度の苦痛なのか?
すなわち、苦痛により不登校や自殺等の行動を取らせることが"いじめ"なのか?
そうであれば、誰にも理解されず、周囲からのいやがらせに我慢している子供は"いじめ"られていないのか?
この考えには誰も賛同しないであろう。
文部科学省では、"いじめ"の定義を「子どもが一定の人間関係のある者から、心理的・物理的攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」と定義しており、「個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行う」としている。(文部科学省:いじめの定義)
このように考えると、"いじめ"とは周囲が行う一定の行動ではなく、受け手によって異なるものを指すことがわかる。
では、この受け手によって異なる"いじめ"をなくすことはできるのか?
これには、外的な方法と内的な方法があると考える。
外的なものとは、子供一人一人の苦痛への許容範囲を監督者が明確に把握し、子供同士がふれあういついかなる時にも、そこに干渉し、子供達の行為を制限する方法である。
しかしながら、それには
・子供一人一人の苦痛への許容範囲は、時々刻々と変わり、監督者が明確に把握することは不可能
・子供同士のふれあいを常に監督し、干渉する行為は教育として正しいか?
・そもそもこれを行うには人手が足りない(定年退職者の協力が必要?)
という問題があり、難しい。
多くの人は、この外的な方法がきちんと行われていないと批判しているのかもしれないが、子供同士のふれあいはいたる所で起こっており、限られた人手だけでは、その全てを監督し、干渉することだけでも不可能であり、その上、子供一人一人の苦痛への許容範囲を把握しろというのは、誰にもできないであろうことは明白に感じる。
内的なものとは、子供達に、それぞれが許容範囲を超える苦痛を与えない様、徹底した教育を行うことだが、そもそも
・そのような教育は現実的に実現可能か?
・大人でも判断できない、他人の苦痛への許容範囲を子供達が完全に把握できるか?
という2点からも、実現は難しい。
以上の考察から、"いじめ"という行動をなくすことは、不可能である。(少なくとも私にはそう感じる。)
私は、「"いじめ"をなくす」のではなく、「"いじめ"による被害をなくす」が正しいのではないかと考える。
ここでいう被害とは、個人の人権に関する被害のことを指している。
多くの人が、"いじめ"の問題によって感情的になって注目してしまうのは、「"いじめ"があった」という事実ではなく、「"いじめ"による被害が発生してしまった」という事実であろう。
多くの人は、"いじめ"によって受けた苦痛や与えられた暴力、命を落としてしまった事実に酷く胸を打たれたのだと思う。
そのため、その原因である"いじめ"をなくすべきだと考えている様に感じる。
しかし、先ほどの考察にもあった様に、"いじめ"をなくすことは不可能であり、本当になくすべきは"いじめ"による被害なのである。
それにも関わらず、なぜ多くの人が「"いじめ"をなくすべきだ」と主張するのか?
それには、マスコミの影響が小さくない様に私には感じる。
"いじめ"問題は、視聴者の食いつきが良い。なぜなら、多くの人が身近であるか、一度は経験する話題であり、感情移入しやすいからだ。感情に訴えるような話題は多くの人が興味を持ち、そのため反響も大きい。よって、マスコミにとっては、都合の良い話題に違いない。
この注目度を保つために、「"いじめ"をなくす」という解決するはずのない課題を、いつまでも教育現場に提示し続けているのではないかと思えて仕方がない。そしてそれを見た多くの人が影響を受けて、"いじめ"はなくさなければいけないと主張している様に感じる。
では、"いじめ"による被害をなくすためには、どうするべきなのか?
私は、これこそ、外的な方法と内的な方法により、予防できると考える。
外的な方法とは、教育者が子供達同士のふれあいを監督し、必要があればそこに干渉する方法だ。先ほどの"いじめ"をなくす方法とは異なり、こちらは被害をなくすことが目的であるため、身体や生命、財産に被害が及ぶ際には大なり小なり周囲にも分かる形で影響が出てくるはずである。それを発見することで、"いじめ"による身体や生命、財産への被害を防ぐことができると考える。
しかし、現状のままでは、これらの被害が出てきている今までと変わらないことになってしまうため、この方法を実践するためには、学校や地域、家庭等によって、今よりも子供達同士の自由なふれあいは制限される必要があると考える。それに加えて、監督者(教育関係者である必要は必ずしもないと考えるが)の人員は確保する必要があると考える。
そして、内的な方法とは、子供達が精神的に苦痛に強くなれる様な教育を徹底して行っていくことである。私は教育の専門家ではないため、どのような教育方法があるのかは分からないが、少なくとも私は、部活動等を通して、強い精神を作ることができたと信じている。
以上の2つの方法は、現状の制度や環境では実現できないであろう。しかしながら、社会が本気で"いじめ"の被害をなくすためには、現状からのある程度の大きな変化は必要であると考える。
しかしながら、ここでもまた、マスコミが足を引っ張っているように感じてならない。
大津市のいじめ問題発覚以降、マスコミは多くの教育現場における、"いじめがあった"という事実を責め立てている。しかしながら、本当に責めるべきは、"いじめによる被害"を出してしまったことであり、そうではなく、"いじめがあった"という事実を責め続けている限り、この問題はいつまでも収束しない。そればかりか、教育現場がマスコミの対応にばかりおわれてしまい、いつまでも"いじめによる被害"を減らすことに取りかかれないのではないか?
一学生の考えであり、正しくないと感じる人もいるかもしれないが、私は以上のように考えているし、そのためマスコミが収束しない(させる気のない)"いじめ"問題で騒いでいることにうんざりしている。
いじめ問題は難しく、センシティブであるため、なかなか自分の考えを発言しにくい問題ではあったが、この状況がいつまでも続くことを傍観できず、自分の考えを記した。
難しいからといってその問題について考えず、自分の意見を持たないことは、そのことを知らないことと同じか、もっと悪いと考える。
難しい話題であるからこそ、一人一人が考えるべきであると思う。
読書レポート
2012年10月15日月曜日
2012年10月9日火曜日
スティーブ・ジョブズ 神の交渉力
スティーブ・ジョブズ 神の交渉力
【著】竹内一正

タイトルを読んで、交渉術に関する内容を想像していたが、交渉術のノウハウよりも、交渉に関連したスティーブ・ジョブズに関する逸話が数多く紹介された内容となっている。
読み終えて感じたことは、ジョブズの性格は極端に自己中心的で強引に周囲を振り回し、人間関係において義理や人情を重要とは考えない性格であるということである。しかしながら、その性格は世界に新しいものを生み出し、広めていく上で必要なものである様に感じた。新しいものを生み出すためには、普通考えもしないようなことにこだわり、時間と労力を裂かなければならない。普通の人間であれば、周囲の反対や常識にとらわれてしまい、不確実な自分の信じることに莫大な時間とお金と労力をかけることに躊躇してしまうだろう。しかしながら、自己中心的で強引な性格であれば、そこでブレーキはかからないのかもしれない。
この本の中で、特にこれらの性格が感じられたのは、ジョブズがピクサーを買収したのち、ディズニーと契約してCG映画「トイストーリー」をヒットさせた後のこととして紹介されている出来事である。
「トイストーリー」は、当時資金不足で喘いでいたピクサーに、ディズニーがその製作やプロモーションにかかる莫大な費用を負担したことで、大ヒットを生むことができた。その一方で、この映画のキャラクター商品によって得られる収益は全て、ディズニーに入るという契約を、ジョブズはディズニーと結んでいた。
「トイストーリー」の大ヒット後、ジョブズは期限がまだ来ていないこの契約の変更を迫ったのだ。ジョブズはこの交渉に勝利し、その結果、ピクサーは「トイストーリー」のキャラクター商品によって得られる収益の一部を得ることができたのである。
立場が優位になったとたん、資金を援助してもらった相手に牙をむく、強引で身勝手な性格が、結果として非常識ではあるが収益をもたらしたのである。
一方で、このような振る舞いは、ジョブズの並外れた目的達成への熱意によるものなのかもしれない。
若き日のジョブズは、できたばかりのベンチャー企業アップルに資金を提供してくれるところを求めて、つてをたどってはしつこく頼み込んでいた。何度断られてもしつこく電話をかけ、強引にでも資金の提供を取り付けたのである。このような、恥を恐れず、愚直にでも目的の達成を目指す熱意が、ジョブズの人格を形成していたのかもしれない。
2005年、ジョブズは卒業を控えたスタンフォード大学の学生に、次のような言葉を贈っている。
"I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" ...... Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything — all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure - these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose."
(私は毎朝鏡を見て、私自身にこう問いかけています。「もし今日死ぬとしたら、私は今日まさにしようとしていることを、したいと思うだろうか。」.....「すぐに死ぬ」と覚悟することは、人生における重大な決断を下すときに大きな自信となります。なぜなら、ほぼ全てのもの―周囲からの期待やプライド、恥や失敗への恐怖など―は、死に直面すると消え去り、本当に大切なものだけが残るからです。死を覚悟して生きていれば、何かを失ってしまうかもしれないと恐れることがなくなるのです。)
この言葉が、熱意と相まって、ジョブズに普通は避けるような行いを実行させていた様に私には感じた。
自分が目指す生き方にもよるのであろうが、この常人とは違う「天才」や「神」と呼ばれ、栄光の頂点から転落し、また復活する波乱の人生を生きた人物の生き様には、参考にすべきところが多分にあると感じた。
【著】竹内一正
タイトルを読んで、交渉術に関する内容を想像していたが、交渉術のノウハウよりも、交渉に関連したスティーブ・ジョブズに関する逸話が数多く紹介された内容となっている。
読み終えて感じたことは、ジョブズの性格は極端に自己中心的で強引に周囲を振り回し、人間関係において義理や人情を重要とは考えない性格であるということである。しかしながら、その性格は世界に新しいものを生み出し、広めていく上で必要なものである様に感じた。新しいものを生み出すためには、普通考えもしないようなことにこだわり、時間と労力を裂かなければならない。普通の人間であれば、周囲の反対や常識にとらわれてしまい、不確実な自分の信じることに莫大な時間とお金と労力をかけることに躊躇してしまうだろう。しかしながら、自己中心的で強引な性格であれば、そこでブレーキはかからないのかもしれない。
この本の中で、特にこれらの性格が感じられたのは、ジョブズがピクサーを買収したのち、ディズニーと契約してCG映画「トイストーリー」をヒットさせた後のこととして紹介されている出来事である。
「トイストーリー」は、当時資金不足で喘いでいたピクサーに、ディズニーがその製作やプロモーションにかかる莫大な費用を負担したことで、大ヒットを生むことができた。その一方で、この映画のキャラクター商品によって得られる収益は全て、ディズニーに入るという契約を、ジョブズはディズニーと結んでいた。
「トイストーリー」の大ヒット後、ジョブズは期限がまだ来ていないこの契約の変更を迫ったのだ。ジョブズはこの交渉に勝利し、その結果、ピクサーは「トイストーリー」のキャラクター商品によって得られる収益の一部を得ることができたのである。
立場が優位になったとたん、資金を援助してもらった相手に牙をむく、強引で身勝手な性格が、結果として非常識ではあるが収益をもたらしたのである。
一方で、このような振る舞いは、ジョブズの並外れた目的達成への熱意によるものなのかもしれない。
若き日のジョブズは、できたばかりのベンチャー企業アップルに資金を提供してくれるところを求めて、つてをたどってはしつこく頼み込んでいた。何度断られてもしつこく電話をかけ、強引にでも資金の提供を取り付けたのである。このような、恥を恐れず、愚直にでも目的の達成を目指す熱意が、ジョブズの人格を形成していたのかもしれない。
2005年、ジョブズは卒業を控えたスタンフォード大学の学生に、次のような言葉を贈っている。
"I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" ...... Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything — all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure - these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose."
(私は毎朝鏡を見て、私自身にこう問いかけています。「もし今日死ぬとしたら、私は今日まさにしようとしていることを、したいと思うだろうか。」.....「すぐに死ぬ」と覚悟することは、人生における重大な決断を下すときに大きな自信となります。なぜなら、ほぼ全てのもの―周囲からの期待やプライド、恥や失敗への恐怖など―は、死に直面すると消え去り、本当に大切なものだけが残るからです。死を覚悟して生きていれば、何かを失ってしまうかもしれないと恐れることがなくなるのです。)
この言葉が、熱意と相まって、ジョブズに普通は避けるような行いを実行させていた様に私には感じた。
自分が目指す生き方にもよるのであろうが、この常人とは違う「天才」や「神」と呼ばれ、栄光の頂点から転落し、また復活する波乱の人生を生きた人物の生き様には、参考にすべきところが多分にあると感じた。
2011年7月26日火曜日
さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 〜身近な疑問から始める会計学〜
さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 〜身近な疑問からはじめる会計学〜 【著】山田真哉 光文社新書

身近な疑問を、会計学の観点から解明し、関連する会計学の知識を解説している。
第1章「さおだけ屋はなぜ潰れないのか? ー利益の出し方ー」
本章のポイントは、「企業は継続することが第一であり、そのために、利益を得る必要がある」ということと、利益は「(利益)=(売り上げ)ー(コスト)」の式で表されるということである。
利益を上げるには、
・売り上げを増やす
・コストを減らす
のいずれかしかない。そして、たとえ売り上げが少なくても、コストをゼロに近づけることができれば、利益を上げることができる。
第2章「ベッドタウンに高級料理店の謎 ー連結経営ー」
連結経営とは「本業に密接に関わる副業を行うこと」であり、本章ではベッドタウンにある高級料理店を例に、その連結経営に関して述べている。本業だけで儲ける必要はなく、副業で利益を上げれば商売は成り立つ。さらに、本業と副業がバラバラではなく、近い分野を扱っていれば、相乗効果が期待でき、また本業での技術や知識を生かすことができる。
第3章「在庫だらけの自然食品店 ー在庫と資金繰りー」
商品を仕入れ、加工、または卸して販売する企業は、仕入れた段階では支出があっただけであり、そのため仕入れた結果の「在庫」があるだけではその企業にとって損でしかない。また、「在庫の維持費」にコストがかかるため、企業としては、「在庫」は売り切らなくては損しかないのである。その「在庫」を大量に保持している自然食品店の謎に、本章では迫っている。「在庫」の保持には、維持するためのコストがかかるが、最も大きな問題は、「資金繰りのショート」の危険性を生むことである。「資金繰りのショート」とは、「売り上げがまだ入ってこないにもかかわらず、先に仕入れの代金を払わなければならなくなり、現金が足りなくなること」である。これを防ぐために、企業は「支払いは遅く、回収は速く」することを考えている。そのための方法として、「手形」で支払い期限を延ばし、「掛」と呼ばれる「売り上げから代金が入る状態」の期間を短くしようとしている。また、本章の最後では、「家庭における在庫の考え方」として、「必要なものを必要なときに必要な分だけ」が一番お得である、と述べている。
第4章「完売したのに怒られた! ー機会損失と決算書ー」
本章では、「機会損失」という概念と、「決算書」について説明している。「機会損失」とは、「売り上げの機会を逃すこと」であり、たとえば、在庫がなくなって商品が出せないといった場合である。この「機会損失」という概念は、売り上げなどとは異なり目に見えないものだが、こういった概念を考えることにより、より多面的に商売の実態を知ることができる。また、「決算書」とは、売り上げと損失を種類別に記したものであり、これを用いることで、現在の企業や家庭の財務状況を知ることができる。本章では最後に、「数字を使って話すことで説得力が増す」と述べている。
第5章「トップを逃して満足するギャンブラー ー回転率ー」
「(売り上げ)=(単価)×(数)」という永久不滅の法則から、売り上げを伸ばす方法を考察している。数を増やすには「回転率」が重要となる。そして、単価を下げれば、お客の回転率は上がるので、全体として利益を上げることができる。しかし、単価を下げた場合、商品の魅力も必然的に下がってしまうので、リピーターを作ることが難しくなる。その結果、時間が経つにつれて、数は減っていってしまう。そのため、バランスを考えて、その商品に合った単価を設定することが重要となる。また、本章の最後では、「全体を見て分からないものは、ポイントをしぼって見る」ということの重要性を述べている。
第6章「あの人はなぜいつもワリカンの支払い役になるのか? ーキャッシュ・フローー」
本章では、「キャッシュ・フロー」という考え方について説明している。「キャッシュ・フロー」とは、「現金の流れ」のことであり、「キャッシュ・フローが良い」とは、「現金が手元にたくさん残っている」ことである。手元に現金がたくさんあることで、資金繰りを良くすることができる。また本章では、個人が重視すべき指標として、「フリー・キャッシュ・フロー」という概念を提案している。この「フリー・キャッシュ・フロー」とは、「自由に使えるお金の額」のことであり、個人版に置き換えると、「収入から、生活費や保険代などの、必要不可欠な支出を引いた額」のこととなる。これは、生活のゆとりや豊かさの指標として考えることができる。そして最後に、「家計でも、1円単位の計算ではなく、大局をつかむことが大切である」と述べている。
第7章「数字に弱くても「数字のセンス」があればいい ー数字のセンスー」
本章で述べられている「数字のセンス」とは、「物事をキチンと数字で考えることができるかどうか」のことである。すなわち、何事も言葉の表現だけで判断せず、実際に数字の計算に直して考え、分析することができるか、ということである。そして、数字をもとに分析する方法で重要なことは、重要な事柄に対して、1単位あたりの値を出し、比較することである。そして、この値を定期的に抑えていくことである。最後に「数字のセンスを身につける方法」として、
・日々の生活の「ちょっとした数字」にも気を配ること
・あらゆる数字の背後にある「意味」を読み取るようにすること
が挙げられている。
【考察】
身近な例を謎解きの様に読み進めていくうちに、会計に関するエッセンスを学ぶことができた。自分は会計の知識はゼロであったが、専門知識は必要なく、比較的簡単に読むことができた。また、少し難しい説明の部分では、図が描かれていたり、各章の終わりにまとめが記載されていたりと、読者の理解を助けるような工夫が多くなされていた。
身近な疑問を、会計学の観点から解明し、関連する会計学の知識を解説している。
第1章「さおだけ屋はなぜ潰れないのか? ー利益の出し方ー」
本章のポイントは、「企業は継続することが第一であり、そのために、利益を得る必要がある」ということと、利益は「(利益)=(売り上げ)ー(コスト)」の式で表されるということである。
利益を上げるには、
・売り上げを増やす
・コストを減らす
のいずれかしかない。そして、たとえ売り上げが少なくても、コストをゼロに近づけることができれば、利益を上げることができる。
第2章「ベッドタウンに高級料理店の謎 ー連結経営ー」
連結経営とは「本業に密接に関わる副業を行うこと」であり、本章ではベッドタウンにある高級料理店を例に、その連結経営に関して述べている。本業だけで儲ける必要はなく、副業で利益を上げれば商売は成り立つ。さらに、本業と副業がバラバラではなく、近い分野を扱っていれば、相乗効果が期待でき、また本業での技術や知識を生かすことができる。
第3章「在庫だらけの自然食品店 ー在庫と資金繰りー」
商品を仕入れ、加工、または卸して販売する企業は、仕入れた段階では支出があっただけであり、そのため仕入れた結果の「在庫」があるだけではその企業にとって損でしかない。また、「在庫の維持費」にコストがかかるため、企業としては、「在庫」は売り切らなくては損しかないのである。その「在庫」を大量に保持している自然食品店の謎に、本章では迫っている。「在庫」の保持には、維持するためのコストがかかるが、最も大きな問題は、「資金繰りのショート」の危険性を生むことである。「資金繰りのショート」とは、「売り上げがまだ入ってこないにもかかわらず、先に仕入れの代金を払わなければならなくなり、現金が足りなくなること」である。これを防ぐために、企業は「支払いは遅く、回収は速く」することを考えている。そのための方法として、「手形」で支払い期限を延ばし、「掛」と呼ばれる「売り上げから代金が入る状態」の期間を短くしようとしている。また、本章の最後では、「家庭における在庫の考え方」として、「必要なものを必要なときに必要な分だけ」が一番お得である、と述べている。
第4章「完売したのに怒られた! ー機会損失と決算書ー」
本章では、「機会損失」という概念と、「決算書」について説明している。「機会損失」とは、「売り上げの機会を逃すこと」であり、たとえば、在庫がなくなって商品が出せないといった場合である。この「機会損失」という概念は、売り上げなどとは異なり目に見えないものだが、こういった概念を考えることにより、より多面的に商売の実態を知ることができる。また、「決算書」とは、売り上げと損失を種類別に記したものであり、これを用いることで、現在の企業や家庭の財務状況を知ることができる。本章では最後に、「数字を使って話すことで説得力が増す」と述べている。
第5章「トップを逃して満足するギャンブラー ー回転率ー」
「(売り上げ)=(単価)×(数)」という永久不滅の法則から、売り上げを伸ばす方法を考察している。数を増やすには「回転率」が重要となる。そして、単価を下げれば、お客の回転率は上がるので、全体として利益を上げることができる。しかし、単価を下げた場合、商品の魅力も必然的に下がってしまうので、リピーターを作ることが難しくなる。その結果、時間が経つにつれて、数は減っていってしまう。そのため、バランスを考えて、その商品に合った単価を設定することが重要となる。また、本章の最後では、「全体を見て分からないものは、ポイントをしぼって見る」ということの重要性を述べている。
第6章「あの人はなぜいつもワリカンの支払い役になるのか? ーキャッシュ・フローー」
本章では、「キャッシュ・フロー」という考え方について説明している。「キャッシュ・フロー」とは、「現金の流れ」のことであり、「キャッシュ・フローが良い」とは、「現金が手元にたくさん残っている」ことである。手元に現金がたくさんあることで、資金繰りを良くすることができる。また本章では、個人が重視すべき指標として、「フリー・キャッシュ・フロー」という概念を提案している。この「フリー・キャッシュ・フロー」とは、「自由に使えるお金の額」のことであり、個人版に置き換えると、「収入から、生活費や保険代などの、必要不可欠な支出を引いた額」のこととなる。これは、生活のゆとりや豊かさの指標として考えることができる。そして最後に、「家計でも、1円単位の計算ではなく、大局をつかむことが大切である」と述べている。
第7章「数字に弱くても「数字のセンス」があればいい ー数字のセンスー」
本章で述べられている「数字のセンス」とは、「物事をキチンと数字で考えることができるかどうか」のことである。すなわち、何事も言葉の表現だけで判断せず、実際に数字の計算に直して考え、分析することができるか、ということである。そして、数字をもとに分析する方法で重要なことは、重要な事柄に対して、1単位あたりの値を出し、比較することである。そして、この値を定期的に抑えていくことである。最後に「数字のセンスを身につける方法」として、
・日々の生活の「ちょっとした数字」にも気を配ること
・あらゆる数字の背後にある「意味」を読み取るようにすること
が挙げられている。
【考察】
身近な例を謎解きの様に読み進めていくうちに、会計に関するエッセンスを学ぶことができた。自分は会計の知識はゼロであったが、専門知識は必要なく、比較的簡単に読むことができた。また、少し難しい説明の部分では、図が描かれていたり、各章の終わりにまとめが記載されていたりと、読者の理解を助けるような工夫が多くなされていた。
2011年6月18日土曜日
昼飯は座って食べるな!
昼飯は座って食べるな! 【著】市村洋文 サンマーク出版

元野村証券の証券マンだった著者が仕事に対する考え方や取り組み方を綴っている。全体を通して人間関係を大切にすることが重要だということを主張しており、また仕事の厳しさも教えてくれている。
第1章「就業時間は、プレー時間」
著者が野村証券に就いて間もない頃のことから始まり、いかにして1日に40枚集めたのかや仙台一の高額納税者である共呉服の販売会社社長から1億円もの前金を受け取ることができたかについて書かれている。特に印象に残った言葉は、「就業時間はプレー時間。昼飯を休んでゆっくり食べているやつは試合中に休むのと一緒だ」という言葉であり、熱意をもってやればできることを根気強くやり続けることが必要であると述べている。また、「自分のためではなく相手のために服を着る。常に完璧な服装でいつも戦闘態勢でいるべきだ」という言葉も印象的だった。
第2章「名刺1枚には、1000億円の価値がある」
名刺の大切さを強く述べている。名刺をコピーして日付ごとに管理する。そうして知り合った人との関係は切れないよう年賀状を送る、記念日には必ず花を贈る。そうして一生ものの人間関係が続く人持ちになれれば、お互いに助け合える人が増え、そしてまた相手にかけた情けは回り回って結局自分に帰ってくるのである。
第3章「リスクマネジメントよりラックマネジメント」
リスクをマネジメントするのと同様に、運をマネジメントすることも大切であると述べている。そして、運とは人がもたらすものであり、運のいい人と一緒にいることで自分にもいい運がやってくる。ここでいう運のいい人とは、愚痴や文句ばかりいう後ろ向きな人ではなく、前向きにチャンスをしっかりつかんで、周りの人に支えられながら進んでいける人のことである。そして自分がそんな人になるためにも、他人の愚痴を言い合うような場所にはお酒の席でも行かない、つらいときは誰かに愚痴をぶつける前に一人の時間を作ってぼーっと空でも眺める、提示された目標に「なぜ?」と訪ねるのはやめて「どのようにして実現させるか?」に思考を切り替えるといったことが述べられている。また、細かいことをきちっとできる人間は大きな仕事もでき、これからも成長していく人であるとも述べている。特に印象に残った言葉は、「雨は自分にだけ降っているのか?しんどいのはみんな同じであり、一人だけ運がいいように見えるやつは一人で努力をしている。そういうやつだけが運のいいときも悪いときも進んでいく」である。
第4章「よく遊び、よく働け」
お祝い事には盛大にお金を使った方が良いと述べている。というのも、交際費は10年後に何倍にもなって戻ってくるという考えがあるからである。人より高い給料というのはその分交際費として使えという意味であり、それは未来への投資であるのだ。
第5章「一生懸命やれば、応援団がついてくる」
著者の失敗体験をもとに、嫌なことから逃げないことの重要性を述べている。著者は顧客に大損をさせてしまったとき、逃げずに誤り誠実を尽くした。その結果、顧客に損を取り返させることができたのである。また、「無茶」と「無理」は違うことであり、「無茶」はするな、でも「無理」はしろと述べている。「無理」をしてでも仕事をなすという気持ちが大事なのである。ここでは、「出資してくれる人を10人集められるか?10人も信用してくれる人がいないのであれば出資はできない。」という言葉が印象に残った。
第6章「成功するための秘訣」
成功するための秘訣として上げられているのは、リスクを負うこと、思いが強くあること、計画は99%成功するよう綿密に立て、さらにその上でうまく行かなければ柔軟に変更すること、家族を大切にすることである。「つねに夢を持ち、変わらぬビジョンを語り続けていなければいけない。たとえ周りの人が去り、業績が思うように伸びなかったとしても、そこで夢までも挫折させてはいけないのです。」、「自分がいかに人に支えられ、助けられて生きてきたかということです。自分のビジネスも、すべて人とのよき出会いによって成立してきた。人との出会いこそが私を支え、つらいときも乗り越えることができました。」という言葉が特に印象に残った。
全体的に人間関係の大切さを再認識させられた。というのも、著者は証券マンであり、人間関係が仕事の成果に大きく関わる(というかもはやそれがすべてなのか?)ので非常に説得力があったからだ。また、初めにかいたように社会の厳しさを教えられた。著者は厳しいノルマもこなし、魚の餌にもされかけながら、強い意志を持って仕事を遂行していった。自分も体力と強い精神力を持たねば。
元野村証券の証券マンだった著者が仕事に対する考え方や取り組み方を綴っている。全体を通して人間関係を大切にすることが重要だということを主張しており、また仕事の厳しさも教えてくれている。
第1章「就業時間は、プレー時間」
著者が野村証券に就いて間もない頃のことから始まり、いかにして1日に40枚集めたのかや仙台一の高額納税者である共呉服の販売会社社長から1億円もの前金を受け取ることができたかについて書かれている。特に印象に残った言葉は、「就業時間はプレー時間。昼飯を休んでゆっくり食べているやつは試合中に休むのと一緒だ」という言葉であり、熱意をもってやればできることを根気強くやり続けることが必要であると述べている。また、「自分のためではなく相手のために服を着る。常に完璧な服装でいつも戦闘態勢でいるべきだ」という言葉も印象的だった。
第2章「名刺1枚には、1000億円の価値がある」
名刺の大切さを強く述べている。名刺をコピーして日付ごとに管理する。そうして知り合った人との関係は切れないよう年賀状を送る、記念日には必ず花を贈る。そうして一生ものの人間関係が続く人持ちになれれば、お互いに助け合える人が増え、そしてまた相手にかけた情けは回り回って結局自分に帰ってくるのである。
第3章「リスクマネジメントよりラックマネジメント」
リスクをマネジメントするのと同様に、運をマネジメントすることも大切であると述べている。そして、運とは人がもたらすものであり、運のいい人と一緒にいることで自分にもいい運がやってくる。ここでいう運のいい人とは、愚痴や文句ばかりいう後ろ向きな人ではなく、前向きにチャンスをしっかりつかんで、周りの人に支えられながら進んでいける人のことである。そして自分がそんな人になるためにも、他人の愚痴を言い合うような場所にはお酒の席でも行かない、つらいときは誰かに愚痴をぶつける前に一人の時間を作ってぼーっと空でも眺める、提示された目標に「なぜ?」と訪ねるのはやめて「どのようにして実現させるか?」に思考を切り替えるといったことが述べられている。また、細かいことをきちっとできる人間は大きな仕事もでき、これからも成長していく人であるとも述べている。特に印象に残った言葉は、「雨は自分にだけ降っているのか?しんどいのはみんな同じであり、一人だけ運がいいように見えるやつは一人で努力をしている。そういうやつだけが運のいいときも悪いときも進んでいく」である。
第4章「よく遊び、よく働け」
お祝い事には盛大にお金を使った方が良いと述べている。というのも、交際費は10年後に何倍にもなって戻ってくるという考えがあるからである。人より高い給料というのはその分交際費として使えという意味であり、それは未来への投資であるのだ。
第5章「一生懸命やれば、応援団がついてくる」
著者の失敗体験をもとに、嫌なことから逃げないことの重要性を述べている。著者は顧客に大損をさせてしまったとき、逃げずに誤り誠実を尽くした。その結果、顧客に損を取り返させることができたのである。また、「無茶」と「無理」は違うことであり、「無茶」はするな、でも「無理」はしろと述べている。「無理」をしてでも仕事をなすという気持ちが大事なのである。ここでは、「出資してくれる人を10人集められるか?10人も信用してくれる人がいないのであれば出資はできない。」という言葉が印象に残った。
第6章「成功するための秘訣」
成功するための秘訣として上げられているのは、リスクを負うこと、思いが強くあること、計画は99%成功するよう綿密に立て、さらにその上でうまく行かなければ柔軟に変更すること、家族を大切にすることである。「つねに夢を持ち、変わらぬビジョンを語り続けていなければいけない。たとえ周りの人が去り、業績が思うように伸びなかったとしても、そこで夢までも挫折させてはいけないのです。」、「自分がいかに人に支えられ、助けられて生きてきたかということです。自分のビジネスも、すべて人とのよき出会いによって成立してきた。人との出会いこそが私を支え、つらいときも乗り越えることができました。」という言葉が特に印象に残った。
全体的に人間関係の大切さを再認識させられた。というのも、著者は証券マンであり、人間関係が仕事の成果に大きく関わる(というかもはやそれがすべてなのか?)ので非常に説得力があったからだ。また、初めにかいたように社会の厳しさを教えられた。著者は厳しいノルマもこなし、魚の餌にもされかけながら、強い意志を持って仕事を遂行していった。自分も体力と強い精神力を持たねば。
2011年6月3日金曜日
考える技術
考える技術 【著】大前研一 講談社

第1章「思考回路を入れ替えよう」
経営コンサルタントである筆者が、論理思考の重要性を筆者の経験と合わせて述べている。筆者曰く、重要なことは分析から十分な仮説を得るだけではだめで、その仮説を自分の足で実際に見て回ることで検証し、結論にしなければならない。
第2章「論理が人を動かす」
本章では、初めに筆者の経験をもとにプレゼンテーションにおいて、いかに聴衆に自分の結論を納得させるかについて書かれている。まず一つのプレゼンに定言をいくつも入れるよりも1つにした方が相手を説得しやすいと述べている。それはやるべきことが1つの方が聞く人の気持ちが動きやすいからだ。また、定言には事実の裏付けが不可欠であり、逆に事実による裏付けがきちんとされていれば相手も納得する。そして、もっとも効果的なプレゼンの構成は、
・まず初めに全体の結論
・業界の動向
・競合他社の動き
・当社の状況分析
・改善機会のための条件
・解決の道
・提言
・実行計画
であると述べている。
後半では、郵政民営化を題材にして、その是非を論理的に検証している。
第3章「本質を見抜くプロセス」
前半ではいくつかの例をもとに、物事の本質を見抜くプロセスを紹介している。ここでは企業売買の際、実際にその企業にはどれ程の価値があるのかや、ジャーナリストが事実を見たり聞いたりしたまま記述していて自ら仮説、検証を行っていないということ(あくまで筆者の記述)、銀行の統合に関する考察が述べられている。後半では、日本企業への提言が述べられている。
第4章「非線形思考のすすめ」
本章では、科学的アプローチと論理的思考の関連性を述べている。何事にも疑問を持ち追求していく姿勢が必要である。そして今の経済は原因が同じであっても結果が同じであるとは限らない複雑形であり、非線形思考をもって様々な方面から疑問をぶつけ考えていくことが必要である。勉強も同じで、何でも自分で疑問をもって考えていく必要があり、答えを与えられ、それを何も考えずひたすら覚え、テストが終わったら忘れてしまうような勉強は何の役にも立たない。
第5章「アイデア量産の方程式」
筆者の考えでは、新しい発想とはひらめき ではなくなぜ?と疑問を持つところから得られる。なぜ?と疑問に感じることを掘り下げて考え、仮説を立てて、それを実際に検証することで新しい発想を得るのだ。
第6章「五年先のビジネスを読み解く」
本章では、初めに土地の値段の下落が推測できなかった人々を例に、当たり前と感じていたり、マスコミや政府が言っているからといって、それらを事実として解釈してしまうことの愚かさを述べ、何事にも疑問をもつことの大切さを述べている。後半ではあるものに関する未来を見通す方法として、それが持つ機能を分解し、それらが将来的にどうなっていくのかを見通すという方法を紹介している。ここでは携帯電話の未来が考察されており、携帯電話の持つパソコンとしての機能や電子財布としての機能をそれぞれ考察している。また、成功のパターンについても述べており、筆者曰く、実際に成功したものごとには、
・事業領域の定義が明確にされている
あれもこれもではなく、必然的に向かっていく一つの方向に特化するということ
・現状の分析から将来の方向を推察し、因果関係について簡潔な論旨の仮説が立てられている
論理的に推論を得るのであって、ただのアイデアとは違う
・自分のとるべき方向についていくつか可能な選択肢があっても、どれか一つに集中する
いくつもある可能な選択肢の中でも、どれがもっとも成功の可能性が高いのかを分析し、優先順位をつける
・基本の仮定を忘れずに、状況がすべて変化した場合を除いて原則から外れない
状況が変化したときに、前提としていた状況が大きく変わらない限り、最初に設定した基本仮定を忘れないことが肝心
第7章「開拓者の思考」
インターネットなどの新しい技術が発明されたことで、様々な事業が新しく生み出され、既存のものを淘汰していっている。この変化によってもたらされた新しい時代はまだ期間が短く、専門家と呼ばれる人がいない。そのため、新技術を取り込んだ新しい事業といった発想パターンが今ほど有効な時代はないといえる。そしてそういったチャンスを得ることができるのは、自分にはまだ経験がないというときにそこを避けて通るのではなく、「とりあえず入ってみよう。何かあるかもしれない。」と思える人である。そして自分の武器である頭脳を常日頃から磨き訓練しておき、誰と会うときでも真剣勝負のつもりでベストを尽くせることが必要なのである。
考察:
本書は、以前に読んだ大前研一氏の著書「下克上の時代を生き抜く即戦力の磨き方」の執筆以前に書かれたものだったため、前回読んだものの中で紹介されていたことがまだ簡単にではあるが本書にも出てきていて少し面白かった。本書は方法論の紹介が少なく(もちろん随所にあったがそれよりも)、どちらかというと実際の例をもとにして大前氏が考察するという部分が多く、自分の考え方の参考になった。大前氏のストイックな姿勢をまじまじと見せつけられ、若者である自分が普段いかに何も考えていないのかということを思い知らされた一冊だった。
第1章「思考回路を入れ替えよう」
経営コンサルタントである筆者が、論理思考の重要性を筆者の経験と合わせて述べている。筆者曰く、重要なことは分析から十分な仮説を得るだけではだめで、その仮説を自分の足で実際に見て回ることで検証し、結論にしなければならない。
第2章「論理が人を動かす」
本章では、初めに筆者の経験をもとにプレゼンテーションにおいて、いかに聴衆に自分の結論を納得させるかについて書かれている。まず一つのプレゼンに定言をいくつも入れるよりも1つにした方が相手を説得しやすいと述べている。それはやるべきことが1つの方が聞く人の気持ちが動きやすいからだ。また、定言には事実の裏付けが不可欠であり、逆に事実による裏付けがきちんとされていれば相手も納得する。そして、もっとも効果的なプレゼンの構成は、
・まず初めに全体の結論
・業界の動向
・競合他社の動き
・当社の状況分析
・改善機会のための条件
・解決の道
・提言
・実行計画
であると述べている。
後半では、郵政民営化を題材にして、その是非を論理的に検証している。
第3章「本質を見抜くプロセス」
前半ではいくつかの例をもとに、物事の本質を見抜くプロセスを紹介している。ここでは企業売買の際、実際にその企業にはどれ程の価値があるのかや、ジャーナリストが事実を見たり聞いたりしたまま記述していて自ら仮説、検証を行っていないということ(あくまで筆者の記述)、銀行の統合に関する考察が述べられている。後半では、日本企業への提言が述べられている。
第4章「非線形思考のすすめ」
本章では、科学的アプローチと論理的思考の関連性を述べている。何事にも疑問を持ち追求していく姿勢が必要である。そして今の経済は原因が同じであっても結果が同じであるとは限らない複雑形であり、非線形思考をもって様々な方面から疑問をぶつけ考えていくことが必要である。勉強も同じで、何でも自分で疑問をもって考えていく必要があり、答えを与えられ、それを何も考えずひたすら覚え、テストが終わったら忘れてしまうような勉強は何の役にも立たない。
第5章「アイデア量産の方程式」
筆者の考えでは、新しい発想とはひらめき ではなくなぜ?と疑問を持つところから得られる。なぜ?と疑問に感じることを掘り下げて考え、仮説を立てて、それを実際に検証することで新しい発想を得るのだ。
第6章「五年先のビジネスを読み解く」
本章では、初めに土地の値段の下落が推測できなかった人々を例に、当たり前と感じていたり、マスコミや政府が言っているからといって、それらを事実として解釈してしまうことの愚かさを述べ、何事にも疑問をもつことの大切さを述べている。後半ではあるものに関する未来を見通す方法として、それが持つ機能を分解し、それらが将来的にどうなっていくのかを見通すという方法を紹介している。ここでは携帯電話の未来が考察されており、携帯電話の持つパソコンとしての機能や電子財布としての機能をそれぞれ考察している。また、成功のパターンについても述べており、筆者曰く、実際に成功したものごとには、
・事業領域の定義が明確にされている
あれもこれもではなく、必然的に向かっていく一つの方向に特化するということ
・現状の分析から将来の方向を推察し、因果関係について簡潔な論旨の仮説が立てられている
論理的に推論を得るのであって、ただのアイデアとは違う
・自分のとるべき方向についていくつか可能な選択肢があっても、どれか一つに集中する
いくつもある可能な選択肢の中でも、どれがもっとも成功の可能性が高いのかを分析し、優先順位をつける
・基本の仮定を忘れずに、状況がすべて変化した場合を除いて原則から外れない
状況が変化したときに、前提としていた状況が大きく変わらない限り、最初に設定した基本仮定を忘れないことが肝心
第7章「開拓者の思考」
インターネットなどの新しい技術が発明されたことで、様々な事業が新しく生み出され、既存のものを淘汰していっている。この変化によってもたらされた新しい時代はまだ期間が短く、専門家と呼ばれる人がいない。そのため、新技術を取り込んだ新しい事業といった発想パターンが今ほど有効な時代はないといえる。そしてそういったチャンスを得ることができるのは、自分にはまだ経験がないというときにそこを避けて通るのではなく、「とりあえず入ってみよう。何かあるかもしれない。」と思える人である。そして自分の武器である頭脳を常日頃から磨き訓練しておき、誰と会うときでも真剣勝負のつもりでベストを尽くせることが必要なのである。
考察:
本書は、以前に読んだ大前研一氏の著書「下克上の時代を生き抜く即戦力の磨き方」の執筆以前に書かれたものだったため、前回読んだものの中で紹介されていたことがまだ簡単にではあるが本書にも出てきていて少し面白かった。本書は方法論の紹介が少なく(もちろん随所にあったがそれよりも)、どちらかというと実際の例をもとにして大前氏が考察するという部分が多く、自分の考え方の参考になった。大前氏のストイックな姿勢をまじまじと見せつけられ、若者である自分が普段いかに何も考えていないのかということを思い知らされた一冊だった。
2011年5月26日木曜日
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学 【著】マイケル・サンデル 鬼澤忍=訳 早川書房

第1章「正しいことをする」
全体の導入といった内容で、実社会で起こる道徳的に判断が難しい事例をいくつか挙げたうえで、それらに対してどのような考察ができるのか、どのようなアプローチの方法があるのかを簡単に上げている。これらは実際にこれからの章で議論される事柄である。
第2章「最大幸福原理 ー功利主義」
一つ目の考え方である、「功利主義」について紹介し、議論している。「功利主義」の原理とは、社会全体の利益、すなわち幸福や快楽の総量が最大となり、社会全体のコスト、すなわち不幸や苦痛の総量が最小となるような方法が最も正しいとする考え方である。ジェレミー・ベンサムはこの考え方の原理を確立した人物であり、ベンサムによると、道徳の思考の原原理は社会の効用を最大にすることであり、効用とは快楽や幸福を生み、苦痛や苦難を防ぐ全てのものを表している。例えば、ベンサムのアイディアとして「貧しいもののために自己資金で運営される救貧院を設ける」というものがある。これは、路上の物乞いを貧困院に閉じ込め働かせ、物乞い達が貧困院で働いて得た金銭で自分たちの食費や医療費を払う、というものだ。この方法でベンサムは、一般の人々が物乞いに出くわして社会全体の効用が減少することを防ぎ、さらに物乞い達の中に数人はいるであろう、貧困院で働く方が幸せであるという者達によって社会全体の効用は増加すると主張する。そしてこの効用の増加分が、貧困院で働かされる者達が受ける苦痛などによる効用の減少分に勝るため、道徳的に正しいと主張している。
しかし、このようなベンサムの考え方には以下に示すような反論が考えられる。
1.個人の権利を尊重していない
ベンサムの考えるように満足の総和だけを考えてしまうと、個人を踏みつけにしてしまう場合が出てくる。例えば、古代ローマではコロセウムでキリスト教徒をライオンに投げ与え、庶民の娯楽としていた。この行為の正当性を功利主義的に考察した場合、投げ与えられたキリスト教徒は堪え難い苦しみを味わうはずだが、大多数のローマ市民がこの見せ物から十分な快楽を得るとしたら、この行為を否定することはできない。このように、効用を第一に考えてしまった場合、常に道徳的に正しい選択が可能であるとは考えにくい。
2.あらゆる物事に関して共通の価値をもたせることは不可能
功利主義に従う場合、あらゆる種類の幸福を共通の単位(通貨)で計算し効用を算出する必要があるが、それは事実上常に可能か?社会心理学者のエドワード・ソーンダイクは一見バラバラな欲求や嫌悪の対称を通貨で表そうとし、アンケートを行った。その結果、回答者の多くが金額では表せないほど嫌だと言うものが出てきてしまい、完全に通貨で表すことはできなかった。
ジョン・スチュアート・ミルは、この反論に対して全ての快楽は、質の高い快楽と質の低い快楽に区別できると主張した。しかしこの快楽の質とは、効用そのものとは無関係な人間の尊厳や人格という道徳的理念に訴えたものとなっている。
第3章「私は私のものか? ーリバタリアニズム(自由至上主義)」
第2章で上げた功利主義とは異なり、リバタリアニズムとは個人の自由への基本的権利を最優先する考え方である。リバタリアンは、自傷行為を行う者を保護する法律やある種の美徳の概念を強制する法律(同性愛禁止法など)に反対する。互いに望むのであれば殺傷行為をも正当化されうる。さらに、富裕者が貧困者の為に納税する義務にも反対する。なぜなら、それは国が富裕者を所有して労働させていることになるからである。この考え方に従う場合、ある富裕者が稼いだお金は全てその人が所有できることになるが、この際に次のような反論が考えられる。
その富裕者はたまたま彼にある種の才能があり、その才能を賞賛する社会に生まれたために富裕者になっただけであり、それら全てに対してその富裕者自身が貢献した訳ではなく、稼いだお金のうちの一部はそういった社会や才能を与えてくれた何かに所有権があるはずだ。
この反論に対する回答は難しく、才能を発揮した結果得られた利益を受け取るべきはその才能の所有権を持つなにかであり、それはどこにあるのかという問題に置き換えられている。
第4章「雇われ助っ人 ー市場と倫理」
本章では、金銭を払って人にやらせることの倫理について、戦場で戦う行為と子供を産む行為と言う全く違った二つの仕事を元に考察している。初めの戦場で戦う行為については、兵士の集め方について、徴兵制、身代わりを雇ってもいいという条件付きの徴兵制、志願兵制の3つにが考えられるが、自由至上主義、功利主義双方においてもっとも最善であると考えられるのは志願兵制となる。自由至上主義の観点から見ると、徴兵制は強制するため一種の奴隷制と見なされるため1つ目と2つ目は適切ではない。また、功利主義の観点から見ると、志願兵制は望む者のみが兵役に就き、望まない者が入隊されることによる効用の損失もなくなるためである。しかし、最も良く思われる志願兵制であっても、反論の余地をもっている。1つ目の反論は、志願兵制とは入隊することで金銭を得る制度であるが、貧困に喘ぎ選択肢のない者が本心では望んでいないにも関わらず入隊してしまう場合が考えられる点である。2つ目は、兵役をただの仕事ではなく市民の義務と考えた場合にそれを市場で売りに出すことは許されないという点である。例えば陪審員制度を市民の義務としている場合に、その義務を売買することは正しいとは考えにくい。同様に、子供を産む能力を売買する(代理妊娠)ことを考える際に、依頼人と代理母との間に結ばれる契約は真に正統なものであるといえるのであろうか。少なくとも、代理母は契約を結ぶ時点で妊娠後に芽生えるであろう子供への感情を知ることはできないので、この自発的な決断が十分な情報に基づいているとはいいがたい。すなわち、代理母としての契約を結んだ女性は十分な情報を与えられていない不当な条件下で契約を交わしたと言える。また、代理母という契約は、女性である人間(出産という能力、または生まれる子供)を商品として利用することによって貶めている(下等に扱っている)。この様な考えから、志願兵制と代理出産というまったく異なっているように思えるものごとの間には、自由市場で我々が下す選択はどこまで自由であるのかという問題と、市場で評価すべきではないものは存在するのかという問題の2つが存在していることがわかる。
第5章「重要なのは動機 ーイマヌエル・カント」
第4章までで見てきたように、功利主義、自由至上主義にはそれぞれ受け入れがたい状態を容認し得る。(功利主義では少数であれば絶大な苦痛をも容認しうる、自由至上主義では互いに望むのであればいかなる行為でも容認されうる)イマヌエル・カントは、このような考え方とはまた別の理論を主張している。それは、人間は理性的な存在であり、尊厳と尊敬に値するものだ。カントは人間は自由に行動すべきだと主張するが、カントの言う自由とは自然や社会に影響されない、自分が定めた法則に従って行動することであり、目的を選択する際にその目的そのもののために選択する必要がある。例えば、空腹に耐えきれずパンをほおばってしまったり、大学進学するために数学の問題を解くといった行動は、カントの言う自由な行動ではない。また、その行動は道徳的である必要がある。そしてカントが言う道徳的な行動とは、正しいことを正しい理由のために行うという義務の動機に従う行動である。例えばカントは思いやりから他人を助ける行為を尊敬には値しないとする。それは個人の趣向(他人を助けることで喜びを感じる)のために行った行為であり、義務によるものではない。逆に、助けたいという思いやりは全くないがひとえに義務のために他人を助けようとする行為をカントは尊敬に値するとする。また、カントが言う義務とは、理性によって判断され、その理性とは定言命法に従おうとすることである。ここで定言命法とは、無条件に正しいとされる法則のことである。(例えば嘘の契約をしないなど)
第6章「平等をめぐる議論 ージョン・ロールズ」
ある集団や国家において社会契約が結ばれるとき、どのような契約が最も公正であると言えるのであろうか。人々にはそれぞれ階級や立場があり、持っている情報量も異なるため自分に有利な契約を結びたがる。ジョン・ロールズは真に公正な社会契約とは一時的に自分がなにものかが全くわからない状態なり、交渉力に差がない状態で人々が同意する契約であると主張する。また、ロールズは才能など完全に平等にすることはできない事柄について、格差原理という考えを提示している。これは、ある事柄に対して才能のあるものにはその才能を訓練してのばすように促し、その才能で市場にもたらした報酬はその才能を持たない人々も含む共同体全体のものとする考えである。しかし、この考えには2つの大きな反論が考えられる。
反論1.もし才能を持たない人々を助ける条件でしか自分の才能から利益を得られないのであれば、才能に恵まれた人々は手を抜くかそもそも才能をのばそうとしないかもしれない。
反論2.才能を伸ばすための努力に対して相応の報酬を与えるべきだ。
これらのような反論が考えられるにしろ、ロールズの正義論はアメリカ政治哲学がまだ生み出していない、より平等な社会を実現するための説得力ある主張を提示している。
第7章「アファーマティブ・アクションをめぐる論争」
本章では主に大学におけるアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)に賛成、反対それぞれに対する理論を考察している。まず賛成派の意見としては、不利な立場にいる人々を援助するというものだ。しかしこのために過去の差別や過ちに実際にはまったく関与していない人々が犠牲になることに対する正当性も考察する必要がある。また、大学側から見たときに様々な人種の人々を受け入れることにより多様性を促進できるという点も賛成派の意見として上げられる。しかし、実際にはこのアファーマティブ・アクションの為に過去に差別を受けなかった人種の人々が実際には合格するはずの成績を残しても不合格となる。このような判断の基準は各大学ごとに異なり、それぞれに自身の存在意義に従っている。ある大学は多様性を重視するために積極的にアファーマティブ・アクションを取り入れ、またある大学は学力を何よりも優先する。これは各大学がそれぞれに求める価値が違うためであり、各大学が自分達の好きなように、それぞれが求める価値基準を決定しているためである。
第8章「誰が何に値するか? ーアリストテレス」
本章では、アリストテレスの考えをもとに第7章で取り上げた大学の合否判定のように誰が何に値するのかということを考察している。アリストテレスの考えによると、ある同等の者に値する人々というのは皆同等の人々であるとし、何において同等であるかというと、それは分配されるものとそれに関わる美徳に関わってくる。それは、あるものはそれをもっともうまく使う人に分配するべきだという考えである。この考え方を第7章の大学の例に応用するとき、大学の目的とは何かという問いから始まる。
第9章「たがいに負うものは何か? ー忠誠のジレンマ」
本章では第7章の大学の例のように、過去の過ちの責任を実際には関与していない人々も追うべきかという問いに対して考察している。その際、道徳的責任の種類として3つ上げられている。
1.自然的義務
普遍的で合意を必要とする。例えば同じ人間を死の危険から救う義務。
2.自発的責務
個別的で合意を必要とする。例えば金銭を通した契約など。
3.連帯の責務
個別的で合意を必要としない。これが過去に過ちを犯した種族としての責任である。この責務は位置ある自己を前提としており、それによって結びつけられる責務である。この責務は例えば他人と家族であれば家族を優先して助けるという考えはこの責務からくる。自然的義務であればどちらを優先するかまでは指定されないが、家族という、合意を必要としない自分と家族との生まれながらの関係を認識するということは、自分は家族という位置にいてそれは過去から代々続いているという事実を受け入れることになり、結果過去に先祖がおかした罪の責任は少なからず自分にも関係があるということになる。
第10章「正義と共通善」
本章では、ここまで道徳的に正しいこととは何かについて考察を重ねてきたが、このような道徳的な考察を深めていくと結果的に正義についての考察からは逃れられないということを主張している。例えば、同性婚に関しては結婚の目的を考察する必要があり、これは結婚の制度から得られる名誉や承認だと考えられるが、それら名誉や承認の根底には道徳問題が存在し、それは何かしらの道徳的・宗教的不一致が原因となっている。そして、政治がそのような道徳に関与しようとする場合、それを避けようとする政治以上に希望に満ち、公正な社会の実現における基盤となりうる。
考察:とても論理的、哲学的でボリューム感たっぷりだったが、講義の内容をまとめた本と言うことで、各章ごとに論題がはっきりしていてそれが読み進めるごとにつながっていくのでとても読みやすく感じた。また哲学や倫理と言った内容に全く知識がなくても十分に理解できる内容である。著書の中で論じられていることはほぼ全て誰かしらの主張や一般論の紹介であり、筆者自身の意見や定言は少なかったように思われる。
第1章「正しいことをする」
全体の導入といった内容で、実社会で起こる道徳的に判断が難しい事例をいくつか挙げたうえで、それらに対してどのような考察ができるのか、どのようなアプローチの方法があるのかを簡単に上げている。これらは実際にこれからの章で議論される事柄である。
第2章「最大幸福原理 ー功利主義」
一つ目の考え方である、「功利主義」について紹介し、議論している。「功利主義」の原理とは、社会全体の利益、すなわち幸福や快楽の総量が最大となり、社会全体のコスト、すなわち不幸や苦痛の総量が最小となるような方法が最も正しいとする考え方である。ジェレミー・ベンサムはこの考え方の原理を確立した人物であり、ベンサムによると、道徳の思考の原原理は社会の効用を最大にすることであり、効用とは快楽や幸福を生み、苦痛や苦難を防ぐ全てのものを表している。例えば、ベンサムのアイディアとして「貧しいもののために自己資金で運営される救貧院を設ける」というものがある。これは、路上の物乞いを貧困院に閉じ込め働かせ、物乞い達が貧困院で働いて得た金銭で自分たちの食費や医療費を払う、というものだ。この方法でベンサムは、一般の人々が物乞いに出くわして社会全体の効用が減少することを防ぎ、さらに物乞い達の中に数人はいるであろう、貧困院で働く方が幸せであるという者達によって社会全体の効用は増加すると主張する。そしてこの効用の増加分が、貧困院で働かされる者達が受ける苦痛などによる効用の減少分に勝るため、道徳的に正しいと主張している。
しかし、このようなベンサムの考え方には以下に示すような反論が考えられる。
1.個人の権利を尊重していない
ベンサムの考えるように満足の総和だけを考えてしまうと、個人を踏みつけにしてしまう場合が出てくる。例えば、古代ローマではコロセウムでキリスト教徒をライオンに投げ与え、庶民の娯楽としていた。この行為の正当性を功利主義的に考察した場合、投げ与えられたキリスト教徒は堪え難い苦しみを味わうはずだが、大多数のローマ市民がこの見せ物から十分な快楽を得るとしたら、この行為を否定することはできない。このように、効用を第一に考えてしまった場合、常に道徳的に正しい選択が可能であるとは考えにくい。
2.あらゆる物事に関して共通の価値をもたせることは不可能
功利主義に従う場合、あらゆる種類の幸福を共通の単位(通貨)で計算し効用を算出する必要があるが、それは事実上常に可能か?社会心理学者のエドワード・ソーンダイクは一見バラバラな欲求や嫌悪の対称を通貨で表そうとし、アンケートを行った。その結果、回答者の多くが金額では表せないほど嫌だと言うものが出てきてしまい、完全に通貨で表すことはできなかった。
ジョン・スチュアート・ミルは、この反論に対して全ての快楽は、質の高い快楽と質の低い快楽に区別できると主張した。しかしこの快楽の質とは、効用そのものとは無関係な人間の尊厳や人格という道徳的理念に訴えたものとなっている。
第3章「私は私のものか? ーリバタリアニズム(自由至上主義)」
第2章で上げた功利主義とは異なり、リバタリアニズムとは個人の自由への基本的権利を最優先する考え方である。リバタリアンは、自傷行為を行う者を保護する法律やある種の美徳の概念を強制する法律(同性愛禁止法など)に反対する。互いに望むのであれば殺傷行為をも正当化されうる。さらに、富裕者が貧困者の為に納税する義務にも反対する。なぜなら、それは国が富裕者を所有して労働させていることになるからである。この考え方に従う場合、ある富裕者が稼いだお金は全てその人が所有できることになるが、この際に次のような反論が考えられる。
その富裕者はたまたま彼にある種の才能があり、その才能を賞賛する社会に生まれたために富裕者になっただけであり、それら全てに対してその富裕者自身が貢献した訳ではなく、稼いだお金のうちの一部はそういった社会や才能を与えてくれた何かに所有権があるはずだ。
この反論に対する回答は難しく、才能を発揮した結果得られた利益を受け取るべきはその才能の所有権を持つなにかであり、それはどこにあるのかという問題に置き換えられている。
第4章「雇われ助っ人 ー市場と倫理」
本章では、金銭を払って人にやらせることの倫理について、戦場で戦う行為と子供を産む行為と言う全く違った二つの仕事を元に考察している。初めの戦場で戦う行為については、兵士の集め方について、徴兵制、身代わりを雇ってもいいという条件付きの徴兵制、志願兵制の3つにが考えられるが、自由至上主義、功利主義双方においてもっとも最善であると考えられるのは志願兵制となる。自由至上主義の観点から見ると、徴兵制は強制するため一種の奴隷制と見なされるため1つ目と2つ目は適切ではない。また、功利主義の観点から見ると、志願兵制は望む者のみが兵役に就き、望まない者が入隊されることによる効用の損失もなくなるためである。しかし、最も良く思われる志願兵制であっても、反論の余地をもっている。1つ目の反論は、志願兵制とは入隊することで金銭を得る制度であるが、貧困に喘ぎ選択肢のない者が本心では望んでいないにも関わらず入隊してしまう場合が考えられる点である。2つ目は、兵役をただの仕事ではなく市民の義務と考えた場合にそれを市場で売りに出すことは許されないという点である。例えば陪審員制度を市民の義務としている場合に、その義務を売買することは正しいとは考えにくい。同様に、子供を産む能力を売買する(代理妊娠)ことを考える際に、依頼人と代理母との間に結ばれる契約は真に正統なものであるといえるのであろうか。少なくとも、代理母は契約を結ぶ時点で妊娠後に芽生えるであろう子供への感情を知ることはできないので、この自発的な決断が十分な情報に基づいているとはいいがたい。すなわち、代理母としての契約を結んだ女性は十分な情報を与えられていない不当な条件下で契約を交わしたと言える。また、代理母という契約は、女性である人間(出産という能力、または生まれる子供)を商品として利用することによって貶めている(下等に扱っている)。この様な考えから、志願兵制と代理出産というまったく異なっているように思えるものごとの間には、自由市場で我々が下す選択はどこまで自由であるのかという問題と、市場で評価すべきではないものは存在するのかという問題の2つが存在していることがわかる。
第5章「重要なのは動機 ーイマヌエル・カント」
第4章までで見てきたように、功利主義、自由至上主義にはそれぞれ受け入れがたい状態を容認し得る。(功利主義では少数であれば絶大な苦痛をも容認しうる、自由至上主義では互いに望むのであればいかなる行為でも容認されうる)イマヌエル・カントは、このような考え方とはまた別の理論を主張している。それは、人間は理性的な存在であり、尊厳と尊敬に値するものだ。カントは人間は自由に行動すべきだと主張するが、カントの言う自由とは自然や社会に影響されない、自分が定めた法則に従って行動することであり、目的を選択する際にその目的そのもののために選択する必要がある。例えば、空腹に耐えきれずパンをほおばってしまったり、大学進学するために数学の問題を解くといった行動は、カントの言う自由な行動ではない。また、その行動は道徳的である必要がある。そしてカントが言う道徳的な行動とは、正しいことを正しい理由のために行うという義務の動機に従う行動である。例えばカントは思いやりから他人を助ける行為を尊敬には値しないとする。それは個人の趣向(他人を助けることで喜びを感じる)のために行った行為であり、義務によるものではない。逆に、助けたいという思いやりは全くないがひとえに義務のために他人を助けようとする行為をカントは尊敬に値するとする。また、カントが言う義務とは、理性によって判断され、その理性とは定言命法に従おうとすることである。ここで定言命法とは、無条件に正しいとされる法則のことである。(例えば嘘の契約をしないなど)
第6章「平等をめぐる議論 ージョン・ロールズ」
ある集団や国家において社会契約が結ばれるとき、どのような契約が最も公正であると言えるのであろうか。人々にはそれぞれ階級や立場があり、持っている情報量も異なるため自分に有利な契約を結びたがる。ジョン・ロールズは真に公正な社会契約とは一時的に自分がなにものかが全くわからない状態なり、交渉力に差がない状態で人々が同意する契約であると主張する。また、ロールズは才能など完全に平等にすることはできない事柄について、格差原理という考えを提示している。これは、ある事柄に対して才能のあるものにはその才能を訓練してのばすように促し、その才能で市場にもたらした報酬はその才能を持たない人々も含む共同体全体のものとする考えである。しかし、この考えには2つの大きな反論が考えられる。
反論1.もし才能を持たない人々を助ける条件でしか自分の才能から利益を得られないのであれば、才能に恵まれた人々は手を抜くかそもそも才能をのばそうとしないかもしれない。
反論2.才能を伸ばすための努力に対して相応の報酬を与えるべきだ。
これらのような反論が考えられるにしろ、ロールズの正義論はアメリカ政治哲学がまだ生み出していない、より平等な社会を実現するための説得力ある主張を提示している。
第7章「アファーマティブ・アクションをめぐる論争」
本章では主に大学におけるアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)に賛成、反対それぞれに対する理論を考察している。まず賛成派の意見としては、不利な立場にいる人々を援助するというものだ。しかしこのために過去の差別や過ちに実際にはまったく関与していない人々が犠牲になることに対する正当性も考察する必要がある。また、大学側から見たときに様々な人種の人々を受け入れることにより多様性を促進できるという点も賛成派の意見として上げられる。しかし、実際にはこのアファーマティブ・アクションの為に過去に差別を受けなかった人種の人々が実際には合格するはずの成績を残しても不合格となる。このような判断の基準は各大学ごとに異なり、それぞれに自身の存在意義に従っている。ある大学は多様性を重視するために積極的にアファーマティブ・アクションを取り入れ、またある大学は学力を何よりも優先する。これは各大学がそれぞれに求める価値が違うためであり、各大学が自分達の好きなように、それぞれが求める価値基準を決定しているためである。
第8章「誰が何に値するか? ーアリストテレス」
本章では、アリストテレスの考えをもとに第7章で取り上げた大学の合否判定のように誰が何に値するのかということを考察している。アリストテレスの考えによると、ある同等の者に値する人々というのは皆同等の人々であるとし、何において同等であるかというと、それは分配されるものとそれに関わる美徳に関わってくる。それは、あるものはそれをもっともうまく使う人に分配するべきだという考えである。この考え方を第7章の大学の例に応用するとき、大学の目的とは何かという問いから始まる。
第9章「たがいに負うものは何か? ー忠誠のジレンマ」
本章では第7章の大学の例のように、過去の過ちの責任を実際には関与していない人々も追うべきかという問いに対して考察している。その際、道徳的責任の種類として3つ上げられている。
1.自然的義務
普遍的で合意を必要とする。例えば同じ人間を死の危険から救う義務。
2.自発的責務
個別的で合意を必要とする。例えば金銭を通した契約など。
3.連帯の責務
個別的で合意を必要としない。これが過去に過ちを犯した種族としての責任である。この責務は位置ある自己を前提としており、それによって結びつけられる責務である。この責務は例えば他人と家族であれば家族を優先して助けるという考えはこの責務からくる。自然的義務であればどちらを優先するかまでは指定されないが、家族という、合意を必要としない自分と家族との生まれながらの関係を認識するということは、自分は家族という位置にいてそれは過去から代々続いているという事実を受け入れることになり、結果過去に先祖がおかした罪の責任は少なからず自分にも関係があるということになる。
第10章「正義と共通善」
本章では、ここまで道徳的に正しいこととは何かについて考察を重ねてきたが、このような道徳的な考察を深めていくと結果的に正義についての考察からは逃れられないということを主張している。例えば、同性婚に関しては結婚の目的を考察する必要があり、これは結婚の制度から得られる名誉や承認だと考えられるが、それら名誉や承認の根底には道徳問題が存在し、それは何かしらの道徳的・宗教的不一致が原因となっている。そして、政治がそのような道徳に関与しようとする場合、それを避けようとする政治以上に希望に満ち、公正な社会の実現における基盤となりうる。
考察:とても論理的、哲学的でボリューム感たっぷりだったが、講義の内容をまとめた本と言うことで、各章ごとに論題がはっきりしていてそれが読み進めるごとにつながっていくのでとても読みやすく感じた。また哲学や倫理と言った内容に全く知識がなくても十分に理解できる内容である。著書の中で論じられていることはほぼ全て誰かしらの主張や一般論の紹介であり、筆者自身の意見や定言は少なかったように思われる。
2011年4月30日土曜日
即戦力の磨き方
即戦力の磨き方 【著】大前研一 PHPビジネス新書

この著書の中では、ホリエモン騒動は時代の変化を位置早く察知した若者が起こした明治維新のようなものであり、ホリエモンや楽天の三木谷浩史といった人たちは、旧秩序にこれまでにないやり方で立ち向かっていった坂本龍馬などの維新志士に例えられている。そして、これから必要になってくるのは、これら維新志士が破壊した旧秩序の上に新しい秩序、モデルを構築できる福沢諭吉や伊藤博文のような経営者でありビジネスパーソンであると述べられている。
そして、こういった人材に必要なスキルとしての実践力、即戦力を題材として扱っている。
また、日本のビジネスパーソンは、世界標準より20年遅れていると述べ、日本のビジネスパーソンは会社内の評価を上げるのではなく、外部とも比較して、自分にどのようなスキルがあり、評価があるのかを考え、勤めている会社がある日突然なくなってしまっても身一つできちんと評価されるようにならなければならないと述べている。それがすなわち、プロフェッショナルな人材になるということである。
そして、プロフェッショナルな人材には「語学力」、「財務力」、「問題解決力」が必須であると主張している。
「語学力」・・・ここで言う語学力とは英語のスキルのことである。現在最も経済力があるのはアメリカであり、そのため多くの国がアメリカと商売をするために英語を話すようになった。自国内に資源が豊富にある国は、英語が話せなくてもそれら目当てに外からお金が入ってくるのであまり英語に力を入れる必要はないし、中国のように安い人件費を売りにしている国はそこまで英語がしゃべれなくてもなんとかなる。しかし日本の場合は昔のように人件費も安くはないので世界の生産拠点にはなれない。サービス業をするにも世界を相手にするにはコミュニケーションスキルは必須となるので、英語のスキルが必要となる。
「財務力」・・・著書のなかでは、資金を特に金利の安い日本の銀行に預けておくよりも、もっと株式投資にまわすべきだと述べられている。日本の定期預金では金利は0.03%であり、500万円預けたとしても30年で504万円にしかならないが、株は世界標準で年利10%であるので、1年間10%で運用できればそれだけで550万円となる。また、資産は分散させるべきだという考えからも、株式を利用するのは得策だと言える。
「問題解決力」・・・重要な決定を思いつきで行ってしまうことをさけるためにも、この力は必須である。そのためにも、「問題はどこにあるのか」、「その本質はどこにあるのか
」といったことを追求していける「質問力」が必要となる。著書の中での問題解決のプロセスは、
「問題の本質を探すために、なぜその問題が起こるのかといった疑問を追求する」
->「その問題の発生する原因に言及して、何をどうすればその原因を排除できるかの仮説を立てる」
->「立てた仮説が実際に正しいかを検証し、仮説の修正を繰り返す」
という流れである。
著書では勉強法に関しても言及されており、そこでは「答えを習う」より「答えを考える」ことに重きを置くように主張している。そして、自分の出番ではなくてもいつでも代われるように常に考えることをやめないでいるべきだと述べている。
この著書の中では、ホリエモン騒動は時代の変化を位置早く察知した若者が起こした明治維新のようなものであり、ホリエモンや楽天の三木谷浩史といった人たちは、旧秩序にこれまでにないやり方で立ち向かっていった坂本龍馬などの維新志士に例えられている。そして、これから必要になってくるのは、これら維新志士が破壊した旧秩序の上に新しい秩序、モデルを構築できる福沢諭吉や伊藤博文のような経営者でありビジネスパーソンであると述べられている。
そして、こういった人材に必要なスキルとしての実践力、即戦力を題材として扱っている。
また、日本のビジネスパーソンは、世界標準より20年遅れていると述べ、日本のビジネスパーソンは会社内の評価を上げるのではなく、外部とも比較して、自分にどのようなスキルがあり、評価があるのかを考え、勤めている会社がある日突然なくなってしまっても身一つできちんと評価されるようにならなければならないと述べている。それがすなわち、プロフェッショナルな人材になるということである。
そして、プロフェッショナルな人材には「語学力」、「財務力」、「問題解決力」が必須であると主張している。
「語学力」・・・ここで言う語学力とは英語のスキルのことである。現在最も経済力があるのはアメリカであり、そのため多くの国がアメリカと商売をするために英語を話すようになった。自国内に資源が豊富にある国は、英語が話せなくてもそれら目当てに外からお金が入ってくるのであまり英語に力を入れる必要はないし、中国のように安い人件費を売りにしている国はそこまで英語がしゃべれなくてもなんとかなる。しかし日本の場合は昔のように人件費も安くはないので世界の生産拠点にはなれない。サービス業をするにも世界を相手にするにはコミュニケーションスキルは必須となるので、英語のスキルが必要となる。
「財務力」・・・著書のなかでは、資金を特に金利の安い日本の銀行に預けておくよりも、もっと株式投資にまわすべきだと述べられている。日本の定期預金では金利は0.03%であり、500万円預けたとしても30年で504万円にしかならないが、株は世界標準で年利10%であるので、1年間10%で運用できればそれだけで550万円となる。また、資産は分散させるべきだという考えからも、株式を利用するのは得策だと言える。
「問題解決力」・・・重要な決定を思いつきで行ってしまうことをさけるためにも、この力は必須である。そのためにも、「問題はどこにあるのか」、「その本質はどこにあるのか
」といったことを追求していける「質問力」が必要となる。著書の中での問題解決のプロセスは、
「問題の本質を探すために、なぜその問題が起こるのかといった疑問を追求する」
->「その問題の発生する原因に言及して、何をどうすればその原因を排除できるかの仮説を立てる」
->「立てた仮説が実際に正しいかを検証し、仮説の修正を繰り返す」
という流れである。
著書では勉強法に関しても言及されており、そこでは「答えを習う」より「答えを考える」ことに重きを置くように主張している。そして、自分の出番ではなくてもいつでも代われるように常に考えることをやめないでいるべきだと述べている。
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